2005年08月01日

図説 風水学 目崎茂和 著

図説 風水学
図説 風水学

著者:目崎茂和
出版社:東京書籍
料金(ポイント):400

 「風水」を古来からの東アジアの環境思想として捉え,地形,方位,「気」などについて科学的に分析し,現代における風水の重要性を解明する。
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2005年08月01日

禁煙外来の子どもたち 高橋裕子 著

禁煙外来の子どもたち
禁煙外来の子どもたち

著者:高橋裕子
出版社:東京書籍
料金(ポイント):400

 タバコがやめられない小中学生。喫煙のきっかけや入手方法,症状など驚くべき子供達の実態を紹介し,各県の禁煙教育の取組みや,医師としての治療のアドバイスを語る。
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2005年08月01日

「頭のいい人」のしくみ 和田秀樹 著

「頭のいい人」のしくみ
「頭のいい人」のしくみ

著者:和田秀樹
出版社:東京書籍
料金(ポイント):500

 「頭のいい人」と「バカ」の差は何か。記憶力からメタ認知力、学力、IQ、対人関係、EQ、処世術、クリエイティブ能力まで、あらゆる角度から徹底分析。時代が求める頭を作るもっとも頭のいい方法を説く。
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2005年08月01日

人生リセットカタログ メディア・ビュー 著

人生リセットカタログ
人生リセットカタログ

著者:メディア・ビュー
出版社:東京書籍
料金(ポイント):400

 生きる元気が湧いてくる!
人生をポジティブに転換した12人の事情と選択を徹底ルポ。そこから見えてくる,「ふたたびはじめる」,「もうひとつ」の生き方。情報ページつき。
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2005年08月01日

ドロップアウトのえらいひと 森永博志 著

ドロップアウトのえらいひと
ドロップアウトのえらいひと

著者:森永博志
出版社:東京書籍
料金(ポイント):500

 街や社会では変わり者といわれても,自分にふさわしい仕事や退屈しない生き方をまんまと手に入れた“えらいひと”たち。会社人間サヨウナラ。望み通りに生きるためのバイブル。
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2005年08月01日

エグザイルス・ギャング ロバート・ハリス 著

エグザイルス・ギャング
エグザイルス・ギャング

著者:ロバート・ハリス
出版社:東京書籍
料金(ポイント):500

 どんなルールにも縛られず,自分の心に忠実に生きてきた“エグザイルス・ギャング”たちと,世界中を放浪した著者との魂の交流を描く。恋と友情の物語。
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2005年08月01日

鷲田小彌太の よくわかる哲学のはなし 鷲田小彌太 著

鷲田小彌太の よくわかる哲学のはなし
鷲田小彌太の よくわかる哲学のはなし

著者:鷲田小彌太
出版社:東京書籍
料金(ポイント):500

 哲学の歴史、哲学はなぜギリシアから始まるのか、哲学者とは何ものか、「現在」の哲学はどこからきたか、に分けて哲学を学ぶ。独創性とは、バブルは人間の本性かなど、哲学の知恵・ヒントが満載。
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2005年08月01日

ブラインドセーリング 失明からの復活戦!ヨットに賭ける 軍事貞則 著

ブラインドセーリング 失明からの復活戦!ヨットに賭ける
ブラインドセーリング 失明からの復活戦!ヨットに賭ける

著者:軍事貞則
出版社:主婦と生活社
料金(ポイント):800

 中途失明した男性がブラインドセーリングと出会い生きる希望をみつけていく。自己を再生するまでの感動の物語。
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2005年08月01日

カプセル 新潟少女監禁事件 密室の3364日 松田美智子 著

カプセル 新潟少女監禁事件 密室の3364日
カプセル 新潟少女監禁事件 密室の3364日

著者:松田美智子
出版社:主婦と生活社
料金(ポイント):650

 9年2か月にも渡った「新潟少女監禁事件」を完全傍聴記と著者の鋭い視点で解明する、書き下ろしノンフィクション!
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2005年08月01日

「食べない心」と「吐く心」 摂食障害から立ち直る女性たち 小野瀬健人 著

「食べない心」と「吐く心」 摂食障害から立ち直る女性たち
「食べない心」と「吐く心」 摂食障害から立ち直る女性たち

著者:小野瀬健人
出版社:主婦と生活社
料金(ポイント):750

 拒食・過食などの摂食障害から立ち直った女性のドキュメントを軸に、同病に苦しむ人々へ治癒方法を提案する。
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2005年08月01日

俺の肌に群がった女たち 家田荘子 著

俺の肌に群がった女たち
俺の肌に群がった女たち

著者:家田荘子
出版社:祥伝社
料金(ポイント):470

 六本木で福生で、そしてハワイで、黒人に群がる若い日本女性たち。彼女たちは褐色の肌に何を求めたのか?――80年代、「ぶら下がり族」と呼ばれ、世間から驚きと侮蔑の視線で遠巻きにされた若い女たちの欲望と本音を抉り出した衝撃のルポ!
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2005年08月01日

飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ3 井村和清 著

飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ3
飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ3

著者:井村和清
出版社:祥伝社
料金(ポイント):300

 「死にたくない。生まれてくる子の顔を見たい…」
不治の病に冒された青年医師が、最後まで生きる勇気と優しさを失わず、我が子と妻、両親たちに向けて綴った感動の遺稿集。初版の刊行以来25年の時を経ても、その真摯な思いは、いまだ変わらず読む者の胸を打つ。今回、「まだ見ぬ子」清子さんの結婚を機に、夫人による新原稿を加えました。
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2005年08月01日

飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ2 井村和清 著

飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ2
飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ2

著者:井村和清
出版社:祥伝社
料金(ポイント):300

 「死にたくない。生まれてくる子の顔を見たい…」
不治の病に冒された青年医師が、最後まで生きる勇気と優しさを失わず、我が子と妻、両親たちに向けて綴った感動の遺稿集。初版の刊行以来25年の時を経ても、その真摯な思いは、いまだ変わらず読む者の胸を打つ。今回、「まだ見ぬ子」清子さんの結婚を機に、夫人による新原稿を加えました。
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2005年08月01日

飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ1 井村和清 著

飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ1
飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ1

著者:井村和清
出版社:祥伝社
料金(ポイント):300

 「死にたくない。生まれてくる子の顔を見たい…」
不治の病に冒された青年医師が、最後まで生きる勇気と優しさを失わず、我が子と妻、両親たちに向けて綴った感動の遺稿集。初版の刊行以来25年の時を経ても、その真摯な思いは、いまだ変わらず読む者の胸を打つ。今回、「まだ見ぬ子」清子さんの結婚を機に、夫人による新原稿を加えました。
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2005年08月01日

飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ 井村和清 著

飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ
飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ

著者:井村和清
出版社:祥伝社
料金(ポイント):900

 「死にたくない。生まれてくる子の顔を見たい…」
不治の病に冒された青年医師が、最後まで生きる勇気と優しさを失わず、我が子と妻、両親たちに向けて綴った感動の遺稿集。初版の刊行以来25年の時を経ても、その真摯な思いは、いまだ変わらず読む者の胸を打つ。今回、「まだ見ぬ子」清子さんの結婚を機に、夫人による新原稿を加えました。
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2005年08月01日

不肖・宮嶋 空爆されたらサヨウナラ 宮嶋茂樹 著

不肖・宮嶋 空爆されたらサヨウナラ
不肖・宮嶋 空爆されたらサヨウナラ

著者:宮嶋茂樹
出版社:祥伝社
料金(ポイント):500

 不肖・宮嶋、これまで数多の紛争地帯を駆け巡ってきた。しかし、これから行くのはそんな場所とは比べ物にならない。NATO対ユーゴの全面戦争地帯コソボである。洒落にならんほどミサイルが降り続いているのである。実際、同じ外国人プレスの幾人もが、その犠牲となってあの世に旅立った。頭の上にミサイルが落ちてきたら、今回こそホントに「サヨウナラ」である…。――不肖、決死の撮影記。これは傑作だ!
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2005年08月01日

はみ出し銀行マンの社内犯罪ファイル 横田濱夫 著

はみ出し銀行マンの社内犯罪ファイル
はみ出し銀行マンの社内犯罪ファイル

著者:横田濱夫
出版社:祥伝社
料金(ポイント):500

 平成不況のサラリーマン、生き残る最終手段はこれだ!? はみ出し銀行マンが“禁断”の手口を全面公開! インチキ領収書事件・リストラおやじのささやかな復習・ストックオプションの秘密などなど、思わず唸る小悪党たちの社内犯罪。真似してクビになっても責任は負えませんので悪しからず(笑)
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2005年08月01日

不肖・宮嶋 死んでもカメラを離しません 宮嶋茂樹 著

不肖・宮嶋 死んでもカメラを離しません
不肖・宮嶋 死んでもカメラを離しません

著者:宮嶋茂樹
出版社:祥伝社
料金(ポイント):470

 「宮嶋は、生涯、報道カメラマンでありたい。身体が動くかぎり、這ってでも現場に行きたい。死んでもカメラを離さない覚悟だが、死んだら写真が撮れないから、生きていたい。ここに恥多き出来事を記す。おおいに笑っていただきたい」――東京拘置所の麻原彰晃を追って、修羅場の韓国光州で、湾岸戦争クウェート一番乗り目指して、不肖宮嶋出撃す!ところが………泣ける!笑える!スクープ秘話満載!
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2005年08月01日

ああ、堂々の自衛隊――PKO従軍奮戦記 宮嶋茂樹 著

ああ、堂々の自衛隊――PKO従軍奮戦記
ああ、堂々の自衛隊――PKO従軍奮戦記

著者:宮嶋茂樹
出版社:祥伝社
料金(ポイント):500

 '92年、カンボジアにPKO派遣された自衛隊。彼らに輸送船から完全同行した不肖・宮嶋、数々の滑稽な事態を目撃す。不肖は思う。行く以上は完全武装して、国連の指揮下、フリーハンドの権限を持って行くべきであったと。そして願う。ここに紹介する笑い話の多くが、日本政府の弱腰、無責任に起因していることをご理解いただきたいと。不肖は叫ぶ。「憲法を捨てて、軍隊を持とう!」
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2005年08月01日

イソップ物語 その恐ろしい真相 五島勉 著

イソップ物語 その恐ろしい真相
イソップ物語 その恐ろしい真相

著者:五島勉
出版社:祥伝社
料金(ポイント):470

 「アリとキリギリス」「ウサギとカメ」「北風と太陽」…誰もが知っているイソップ物語。この最古の童話に、実は人類が迎えねばならない戦慄の未来、生き残るための秘法が隠されていたのだ!たわいない昔話と思われていたものに、現代人へのどんな警告が隠されているのか?まずは最もポピュラーな「オオカミ少年の話」から紹介しよう…。
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2005年08月01日

誰も知らない「3つの殺人」――首謀者は塀の外にいる! 「凶悪殺人犯」の驚愕告発 後藤良次 著

誰も知らない「3つの殺人」――首謀者は塀の外にいる! 「凶悪殺人犯」の驚愕告発
誰も知らない「3つの殺人」――首謀者は塀の外にいる! 「凶悪殺人犯」の驚愕告発

著者:後藤良次
出版社:新潮社
料金(ポイント):200

 「未発覚の殺人事件があります」。元暴力団組長、後藤良次は殺人と強盗致死の罪で死刑判決を下され、現在、最高裁に上告中の身である。その後藤が、他に2件の殺人と1件の死体遺棄を行っており、闇に埋もれていると証言。取材の結果、信用性は極めて高いものと判明した。警察も知らない3つの殺人事件の全貌とは――。「新潮45」2005年11月号の特大スクープを電子化。
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2005年08月01日

ウェブ社会「本当の大変化」はこれから始まる(フォーサイトeBookletお試し版) 新潮社「フォーサイト」編集部 著

ウェブ社会「本当の大変化」はこれから始まる(フォーサイトeBookletお試し版)
ウェブ社会「本当の大変化」はこれから始まる(フォーサイトeBookletお試し版)

著者:新潮社「フォーサイト」編集部
出版社:新潮社
料金(ポイント):0

 「未発覚の殺人事件があります」。元暴力団組長、後藤良次は殺人と強盗致死の罪で死刑判決を下され、現在、最高裁に上告中の身である。その後藤が、他に2件の殺人と1件の死体遺棄を行っており、闇に埋もれていると証言。取材の結果、信用性は極めて高いものと判明した。警察も知らない3つの殺人事件の全貌とは――。「新潮45」2005年11月号の特大スクープを電子化。
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2005年08月01日

死にゆく妻との旅路 清水久典 著

死にゆく妻との旅路
死にゆく妻との旅路

著者:清水久典
出版社:新潮社
料金(ポイント):300

 ※ご購入(ダウンロード)日を含めて60日間のみご利用いただけます。また、マイページ内に購入履歴は残りますが、再ダウンロード期間は30日間となります。ご注意ください。
高度成長期、縫製一筋に生きてきた私は小さな工場を経営し、苦しくとも充実した日々を送っていた。が、中国製の安価な製品が容赦なく経営を圧迫し始める。長引く不況、膨れ上がる借金。万策尽き果てた時、私は妻のガンを知った……。「これからは名前で呼んで」呟く妻、なけなしの五十万円、古ぼけたワゴン。二人きりの最後の旅が始まった――。
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2005年08月01日

プロジェクトX 102 ハレーすい星に突入せよ NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 102 ハレーすい星に突入せよ
プロジェクトX 102 ハレーすい星に突入せよ

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  76年に一度、地球を訪れるハレー彗星。古来、人類の歴史と深く関わってきた星である。1986(昭和61)年の接近の際、その謎に迫ろうとする日本人技術者がいた。「ハレー彗星に強力ロケットを打ち込み、その内部を分析する」。その開発は、技術立国日本の威信を賭けた闘いとなった。

 プロジェクトが動き始めたのは、ハレー彗星最接近まで5年を切った1981(昭和56)年。ロケットを彗星に接近させ、特殊なカメラで撮影、その成分を分析するという、世界初の試みだった。プロジェクトには、様々なメーカーの技術者が集
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2005年08月01日

プロジェクトX 101 家電革命 トロンの衝撃 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 101 家電革命 トロンの衝撃
プロジェクトX 101 家電革命 トロンの衝撃

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  携帯電話、デジタルカメラ、カーナビゲーション。日本が世界をリードする多くの製品を動かす基本ソフトがある。トロン。世界で最も使われている基本ソフトの一つである。

 昭和59年、トロンを考案したのは一人の日本人学者だった。東京大学の坂村健。パソコンから家電まであらゆるもの動かせるよう設計した。「基本ソフトは情報化社会の基盤。空気や水と同じ」と考えた坂村は、トロンの仕様書をなんと全世界のメーカーに無料で公開。たちまち内外140社が集まりプロジェクトが結成された。大手メーカーは次々とトロンで動くパソコンを試作。誰でも簡単に使える分かり易さと軽快な動きで評判となった。

 しかし、平成元年、そこに超大国アメリカが立ちはだかった。日本に対し、小中学校で使うパソコンの規格をトロンに決めるなと迫ってきたのである。自動車やVTRで日本に圧倒され巨額の貿易赤字を抱えたアメリカは、輸入制限や報復関税の制裁措置をちらつかせていた。メーカーは次々とトロン・パソコンから撤退を余儀なくされた。まもなく世界市場を制したのはウィンドウズだった。パソコンの心臓部を握られた日本メーカーの利益率は低下し、基本ソフトを持たない弱さを痛感させられる。

 窮地に追い込まれたトロン・プロジェクト。しかし、坂村と技術者たちは諦めなかった。「もの作りには自由に改良できる自前の基本ソフトが欠かせない」と各地で技術者たちに訴え、トロンのバージョン・アップを重ねた。逆境の中で技術立国のもの作りの将来のために闘い続けるメンバーの情熱は、革命的な新商品との運命的な出会いを呼び込んでいく。

 日本発信の世界的基本ソフト・トロン。育て上げた男たちの執念の逆転劇を描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 99 海賊襲撃 マラッカ海峡の闘い NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 99 海賊襲撃 マラッカ海峡の闘い
プロジェクトX 99 海賊襲撃 マラッカ海峡の闘い

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  マレーシアとインドネシアを隔てる、マラッカ海峡。日本の貿易を支える海の大動脈である。全長1000キロの海峡は、大型船にとって、浅瀬が続く航行の難所。突然のスコールが視界を奪う。さらに、もう一つ恐ろしい敵が潜んでいる。海賊である。

 海賊は、漁船を装ってターゲットの船に近づき、隙をついて襲撃。時には、船をまるごと奪い、乗組員を殺害、貨物を転売する。マラッカ海峡は、世界一の海賊出没水域。魔の海峡と呼ばれる。

 1999(平成11)年10月。日本の貨物船アロンドラ・レインボー号が、インドネシア・スマトラ島で時価13億円のアルミ塊を積みこみ、マラッカ海峡にさしかかった時だった。海賊が、長刀と銃を振りかざし、乗り込んできた。船長の池野功とフィリピン人乗組員、計17人を縛り上げ、救命ボートに乗せて、大海に放り出した。

 「貨物船が消息を絶った」船会社からの通報を受け、海上保安庁と外務省が捜索に乗り出した。海上保安庁・救難課長の坂本茂宏は、巡視船「はやと」と哨戒機「ファルコン」を緊急出動させた。しかし、手がかりはつかめなかった。「海賊の仕業か。」皆、最悪の事態を思い、震撼した。

 マレーシアの日本大使館に出向中の、海上保安庁の技術者・楠勝浩が情報収集にかかった。楠はクアラルンプールにあるNGO「海賊情報センター」に協力を仰ぐ。沿岸諸国の港や漁業関係者に片っ端から網をかけた。しかし、舞い込む情報は、どれも偽物。海賊が捜索の攪乱を狙って流したものだった。捜索は、国境を越えた情報戦となった。

 日本人が巻き込まれた、初めての海賊事件。必死で捜索にあたった人々の、17日間のドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 98 太平洋1万キロ 決死の海底ケーブル NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 98 太平洋1万キロ 決死の海底ケーブル
プロジェクトX 98 太平洋1万キロ 決死の海底ケーブル

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  国際電話、インターネット、双方向画像の高度医療。「海底ケーブル」は地球20周分にあたる総延長80万キロ、情報化社会を支える血脈である。

 1989年に開通した「TPC-3(第3次太平洋横断ケーブル)」は当時、世界最長の海底ケーブル。生まれたての技術「光通信」を駆使して、日本とアメリカ双方から敷設を開始。太平洋上でのドッキングに挑む前代未聞の巨大プロジェクトだった。

 ケーブルを引く敷設船「KDD丸」の乗組員は80人。リーダーはKDD(国際電信電話)の細谷辰雄だった。入社後、病に倒れたが不屈の精神で船に舞い戻ってきた。

 しかし、細谷達の前に黒潮が立ちはだかった。海底に数百メートルの誤差で敷設するためには黒潮の早さを計算し、緻密な操船、瞬時にケーブルを繰り出すタイミングが要求される。更に、海底には水深1万メートルの日本海溝が口をあける。ケーブルを襲う水圧は1トン。ガラス製の繊細な光ファイバーは水圧でズタズタになった。そして、サメがケーブルを襲うという驚愕の情報がプロジェクトを震え上がらせた。

 細谷たちはのべ134日の航海の末、ついに至難の敷設作業を達成。しかしメンバーたちを待っていたのは、アメリカ側担当の敷設船「ロングラインズ号」からの緊急連絡だった。
「ケーブル損傷! 応援を頼む!」KDD丸は再び太平洋に舳先を向けた。

 情報の大動脈を築くため、洋上で自らの技術を尽くした男たちの知られざるドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 97 執念のテレビ 技術者魂30年の闘い NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 97 執念のテレビ 技術者魂30年の闘い
プロジェクトX 97 執念のテレビ 技術者魂30年の闘い

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  1953年(昭和28年)2月1日、日本初のテレビ本放送開始。その実現までには多くの技術者達の知られざるドラマがあった。

 本放送開始をさかのぼること約30年前の1926(大正15)年12月、世界を驚嘆させる実験が浜松高等工業学校(現・静岡大学工学部)で行われた。手書きの「イ」の字をブラウン管に映し出すというテレビ実験。成し遂げたのは若き教授、高柳健次郎(1899〜1990)。全国放送という壮大な夢を持っていた。やがて高柳は、NHKに請われ、東京砧の放送技術研究所で、テレビ放送実現に向けて開発に邁進する。しかしその矢先、戦争が勃発。テレビ放送開発は中止、プロジェクトチームも解散を余儀なくされる。高柳は軍の命令でレーダー開発に従事することになった。

 そして終戦。「研究を再開できる」と喜ぶ高柳の元に、GHQから衝撃の報せが届く。「テレビ研究は電波兵器につながる。禁止だ」さらに高柳自身、戦争協力者だとして職を追われてしまう。日本のテレビ放送開始は遠のいたかに思えた。

 しかし高柳は諦めなかった。企業の壁を越えプロジェクト結成を呼びかけ、再び開発に乗り出すのだった…。

 テレビ本放送開始50周年記念番組として、テレビ誕生に関わった技術者達の物語を壮大なスケールで描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 96 爆発の嵐 スエズ運河を掘れ NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 96 爆発の嵐 スエズ運河を掘れ
プロジェクトX 96 爆発の嵐 スエズ運河を掘れ

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  地中海と紅海を結ぶスエズ運河。年間1万4千隻の船舶が通る、世界の海運の大動脈である。今から42年前、運河は時代に取り残されていた。10万トンを超える巨大タンカーが次々に建造される中、19世紀に作られた狭小な運河は5万トン以下の船しか通れなかった。1961(昭和36)年、エジプトの国家プロジェクトとして始まった運河の拡幅増深工事に挑んだのは、日本の海洋土木会社「水野組(現・五洋建設)」の技術者たちだった。

 工事の主役は「ポンプ船」と呼ばれる作業船。カッターで海中の土砂を削り、ポンプで吸い込んで地上に排出する。しかし、コンクリートの5倍も硬い岩盤の前に、カッターの刃先は2時間でボロボロ。1日3回交換に迫られ、作業は進まなかった。さらに狭い運河を通行する船団との衝突の危険が、プロジェクトを悩ませた。

 そして、1967(昭和42)年、第3次中東戦争が勃発。工事は中断を余儀なくされる。8年後、ようやく再開した工事にもう一つ難題が降りかかった。運河に残された大量の不発弾だった。ポンプ船の中で爆発、現場は騒然となった。プロジェクトの命運を賭け、日本人ダイバーらによる不発弾処理チームが組織された…。

 日本の海洋土木技術の威信をかけ、国際舞台に挑んだ男達の壮絶なドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 95 衝撃のペルー 男たちは生き抜いた NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 95 衝撃のペルー 男たちは生き抜いた
プロジェクトX 95 衝撃のペルー 男たちは生き抜いた

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  平成8年12月17日、世界を震撼させる大事件が南米・ペルーで起きた。日本大使公邸人質事件である。
襲撃したのは、MRTA・ツパクアマル革命運動と名乗る武装グループ。天皇誕生日の祝賀パーティーに招かれていた招待客600人余りを人質に取り、刑務所に収監されている仲間の釈放をペルー政府に要求した。最後まで人質に残されていたのは72名、その中に「13人の日本人サラリーマン」がいた。平均年齢は53歳。南米各地で働いてきた企業戦士たちだった。
 人質たちは、およそ十畳一間の空間に閉じ込められ、建物の各所に爆弾が仕掛けられた。トイレは、人質達が身元を隠そうと捨てた身分証で詰まり、悪臭を放った。皆、蒸し風呂と化した部屋の中で、靴を枕に眠った。ペルー政府と武装グループの交渉は難航し、監禁生活は長期化。人質たちは、身体に変調をきたし、危機が迫った。
 その時、人質たちの健康を守るため、立ち上がった特命チームがあった。日本赤十字の医師と看護士たち、総勢6名、中立の立場を掲げ、防弾チョッキも付けずに銃口にらみ合う公邸へと向かった。医師の鈴木隆雄(当時46歳)は、懸命に人質達を治療し、励まし続けた。
 そして事件発生から127日目、ペルー政府が強行突入した。激しい銃撃戦が繰り広げられ、人質達がいた部屋は、紅い炎で包まれた。絶体絶命の人質達、その運命は・・・。
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2005年08月01日

プロジェクトX 94 世界最大の船 火花散る闘い NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 94 世界最大の船 火花散る闘い
プロジェクトX 94 世界最大の船 火花散る闘い

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  昭和41年、横浜で世界最大の船の建造が始まった。船体の長さは東京タワーを凌ぐ342メートル。積み荷は原油、日本の一日の消費量を一気に運ぶ夢のタンカーである。
 当時、世界中のタンカーは欧米の石油メジャーに握られていた。日本は割高な油に苦しんでいた。「自前のタンカーを持ち、直接中東から買い付ける」立ち上がったのは、石油会社、出光興産。船の建造を請け負ったのは、石川島播磨重工業だった。その下に電気、機械、鉄鋼、全国から1千社。36万人が結集した。
 世界最大の船体工事、現場の指揮を託されたのは石川島播磨重工業の技術者、南崎邦夫38歳。入社3年目に事故で右足を切断。それでも現場を歩き続けた不屈の男だった。その南崎たちの前に次々と難問が立ちはだかる。
 船体を覆う、最強の鉄板「ハイテンション鋼」。溶接できず真っ二つに折れた。直径7.8メートルのスクリューを支える巨大シャフト。船体に原因不明の歪みが生じ、取り付けられない。そして、運命の処女航海。東シナ海で巨大台風に襲われた。
 造船大国の誇りを賭けた人々の壮絶なドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 93 魔の山大遭難 決死の救出劇 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 93 魔の山大遭難 決死の救出劇
プロジェクトX 93 魔の山大遭難 決死の救出劇

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  昭和30年代、日本は登山ブームを迎え、山での遭難事故が増え始めた。昭和38年、後にサンパチ豪雪と呼ばれるドカ雪で、北アルプス薬師岳を登山中の愛知大学山岳部13人が全員死亡。前代未聞の大量遭難となった。
 この事故で、救助チームの隊長を務めたのは富山県警上市署の鑑識係、伊藤忠夫40歳。伊藤はかつて最愛の弟を山で亡くしていた。昭和40年、伊藤を指揮官とする山岳警備隊が発足。しかし県内の警察署から集められた隊員達は、山歩きの経験が無い素人集団。伊藤は助っ人を頼もうと、北アルプス麓の集落、あしくらじ芦峅寺を訪ねた。黒部ダム建設の際、資材を運搬。第一次南極観測隊にも選ばれた山のエキスパート達が住んでいた。隊員は、あしくらじ芦峅寺の男達に山登りの技術を学んだ。
 昭和44年正月、剣岳を記録的なドカ雪が襲った。15パーティー81人、史上空前の大量遭難が発生。山岳警備隊はあしくらじ芦峅寺の男達に応援を頼み、山頂付近にいた金沢大学山岳部17人の救助に向かった。しかし猛吹雪の中、先頭を切っていたベテランガイドが谷に転落。あしくらじ芦峅寺の男達は仲間を救出、山を降りた。後には、3人の若き警備隊員が残された。「今こそ厳しい訓練の成果を見せる」遭難者が待つ山頂に、足を踏み出した。
 生死をかけ、山岳救助に挑んだ若者達の熱きドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 92 金閣再建 黄金天井に挑む NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 92 金閣再建 黄金天井に挑む
プロジェクトX 92 金閣再建 黄金天井に挑む

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  世界各国の要人が来日の度、絶賛する建物がある。「金閣」。
「究極の頂き」と呼ばれる三階の天井には、3千枚の金箔が歪みなく敷き詰められている。二階には、極楽浄土の世界を描いた天井画。その真下に広がる総漆塗りの床に反射し、極限の美を見せる。しかし、この金閣は、52年前に一度、放火で全焼している。そこから再建を成し遂げたのは、全国の職人たちの30年に及ぶ意地と執念だった。
 昭和30年、京都では、消失した金閣の再建が進んでいた。全国から選りすぐられた、漆職人、金箔職人などが腕を振るった。しかし、資金不足や手がかりの少なさから、二階天井画は、再現できなかった。戦前から金閣を守り続けた住職、村上は、いつの日か完全な再建を目指したが、十年、二十年と経つうちに、風雨にさらされた金閣から金箔は剥がれ落ち、漆も破壊されていった。建物自体が腐る可能性もでてきた。そして、三十年が経った昭和60年、村上も癌に侵され、床に伏せた。
 「金閣を甦らせたい」病と闘う村上の願いに応えたのは、当時、文化財修復の世界で名をあげていた矢口一夫(やぐち・かずお)を中心とする職人たちだった。矢口は調査と研究を重ね、京都の厳しい自然から金閣を守る材料をそろえた。通常の5倍の厚さの金箔「5倍箔」。金箔の下で建物を守る、粘り強い純国産の漆、1.4トン。
 昭和61年2月、準備も整い、1年8ヶ月に及ぶ工事がスタートした。しかし、再建は、困難を極めた。謎の歪みが出る金箔。さらに天井画の修復を手がける画家を襲う死の病。そして、完成間近を迎えたその時、最大の壁が立ちはだかった。
 果たして、黄金の寺は輝きを取り戻すのか。金閣再建に挑んだ職人たち、執念の30年戦争を描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 91 突破せよ 最強特許網 新コピー機誕生 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 91 突破せよ 最強特許網 新コピー機誕生
プロジェクトX 91 突破せよ 最強特許網 新コピー機誕生

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  強大なアメリカ経済。強さを支えてきたのが特許である。巨大企業は巧みな特許戦略でライバルを抑え、世界市場を制覇した。
 32年前、その特許戦略に真正面から挑み、突破した男たちがいた。キヤノンの技術者たちである。男たちに立ちはだかったのは、世界で初めて普通紙複写機(コピー機)を発売し、シェア100%を誇っていたゼロックスの特許網。「この特許を使わずしてコピー機を作ることは不可能」と世界中の技術者が諦めるなか、男たちが作り上げたのが、新方式の国産普通紙複写機・NP-1100だった。
 開発は困難の連続だった。独自方式開発のためには、ゼロックスの特許を全て把握しなくてはならない。数百件・数千ページに及ぶ英文特許の山が特許マンに立ちはだかった。またコピー機は、物理・化学・電子・機械の最先端技術の結晶。複写プロセスは多岐にわたり、全ての過程において技術者たちは一から独自技術を創造しなくてはならなかった。
 苦境を乗り越えるバネとなったのは、日本のオリジナリティーを世界に示したいという思い。それまで日本は、莫大な特許使用料を払って欧米から技術をもらうばかりで、製品は「優秀な模造品」と皮肉られていた。レッテル返上に燃える技術者と特許マンの執念が不可能と言われた開発を成功に導いていく。
 鉄壁の特許網に挑み、見事に独自のコピー機を作り上げた伝説の技術者と特許マンの逆転の物語を描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 90 カーナビ 迷宮を走破せよ NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 90 カーナビ 迷宮を走破せよ
プロジェクトX 90 カーナビ 迷宮を走破せよ

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  車が溢れる渋滞列島、日本。朝夕の通勤ラッシュ、帰省ラッシュ、長い行列に耐えるのがドライバーの宿命である。12年前、日本で画期的な製品が開発された。アメリカの軍事衛星GPSを利用したカーナビゲーション。初めての道でも裏道でも迷わない夢の機械である。
 開発に挑んだのは音響メーカーのパイオニア。当時、看板商品のカーステレオの売れ行きが伸び悩み、会社は新製品開発にもがいていた。その時、カーナビ開発を提案したのが畑野一良31歳。カーステレオ部署のエース企画マンだった。畑野は方向音痴。家族でドライブに行くと抜け道で迷った。車内は険悪なムードになった。「家族で楽しくドライブをしたい」。カーナビ開発は、ささやかな思いから始まった。
 川越工場の本橋実がカーナビ本体の開発を担当。技術研究所の清水敏彦が地図作りを担当。
 しかし、困難な壁が次々と立ちはだかった。GPS受信機は200万円。車本体よりも高かった。地図を映し出すコンピューターは、真夏の車内気温50度で壊れた。プロジェクトは完全に行き詰まった。
 そのとき、雪降る、北海道、旭川から、思わぬ援軍が駆けつけた。
 負け続けの男たちの、奇跡の逆転の物語をお伝えする。
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2005年08月01日

プロジェクトX 89 勝負の警備システム 作動せよ NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 89 勝負の警備システム 作動せよ
プロジェクトX 89 勝負の警備システム 作動せよ

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  安全神話が崩壊しつつある日本で、なくてはならない警備産業。市場規模は年間2兆4千億円。約1万社が参入し、40万人の雇用を生んでいる。初めて警備会社が産声を上げたのは、今から40年前。「水と安全はタダ」といわれる中で新たな市場を築くには、若者達の知られざる格闘があった。
 昭和36年。酒屋の倉庫で在庫整理に追われる若者がいた。飯田亮、28歳。東京・日本橋の酒屋の五男坊。大学卒業後、老舗を手伝っていたが、仕事は全て兄たちに指図された。大学時代の親友の戸田寿一と酒をくすねては我が身を憂いていた。当時、商店や企業を狙った窃盗が横行。「プロの警備員を養成すればビジネスになる」飯田は、戸田と2人で日本初の警備会社「日本警備保障(現セコム)」を立ち上げる。
 しかし、拳銃も逮捕権も無い。許されたのは警棒だけ。「お前達に何が出来る」仕事は取れなかった。転機が訪れたのは、昭和39年の東京オリンピック。選手村の建設現場の警備を依頼された。会社がモデルとなった「ザ・ガードマン」というドラマが大人気。仕事の依頼が殺到し、会社は急成長した。その時、とんでもない事件が起きた。なんとガードマンがデパートを巡回中、600万円の宝石を盗んだ。
 会社の信用は地に落ちた。飯田と戸田はガードマンの行動マニュアルを作り、徹底的に研修を実施。更に警備の信頼度を上げようと、社運をかけ日本初の機械警備システムを作り上げた。契約先のドアや窓に取りつけたセンサーが異常を感知すると、管制センターに通報。ガードマンが急行する仕組みだった。しかし、誤報が相次ぎ、ほとんど普及しなかった。
 昭和43年10月、衝撃的なニュースが伝わった。東京のホテルで、他社のガードマンがピストルで射殺された。更に、京都でも警備中のガードマンが殺された。そして翌年4月深夜、機械警備システムを導入していた新宿の専門学校からの警報が発せられた。駆けつけたのは新人ガードマンの中谷利美。そこに、あの連続殺人犯がいた・・・
 新しいビジネスを切り開き、命がけで犯罪に立ち向かった男達の熱きドラマ。
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2005年08月01日

プロジェクトX 88 革命トイレ 市場を制す NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 88 革命トイレ 市場を制す
プロジェクトX 88 革命トイレ 市場を制す

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  今や日本のトイレのほぼ2軒に1軒の割合で設置されている「温水洗浄便座」。心地よいお湯でお尻を洗い温風で乾かす。古来「ご不浄」と呼ばれ、不潔の代名詞だったトイレのイメージを、「快適」で「清潔」な空間へと変えた革命的な製品である。清潔志向の高まりから、不況の中でも売り上げを伸ばすヒット商品でもある。その開発の影には、ひたむきにトイレと向き合い続けた技術者たちの姿があった。数々の困難を克服し、「不潔なトイレ」のイメージを覆した「トイレ革命」を成し遂げた男たちの逆転のドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 87 赤いメロン 北の大地の20年戦争 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 87 赤いメロン 北の大地の20年戦争
プロジェクトX 87 赤いメロン 北の大地の20年戦争

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  北海道夕張市。農協の耐火金庫に、大切に保管されているものがある。メロンの種である。品種名「夕張キング」。美しいネット、甘く香り高い、赤い果肉。夕張のメロンは、今や高級ブランドの代名詞である。その誕生の裏には、地域の生き残りをかけた農家の壮絶な格闘があった。
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2005年08月01日

プロジェクトX 86 運命の最終テスト/〜ワープロ・日本語に挑んだ若者たち〜 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 86 運命の最終テスト/〜ワープロ・日本語に挑んだ若者たち〜
プロジェクトX 86 運命の最終テスト/〜ワープロ・日本語に挑んだ若者たち〜

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  日本語。48字のひらがなと5万もの漢字がおりなす世界に冠たる美しい言葉。しかし戦後、日本語はその複雑さゆえ、経済復興の足かせとなった。
 昭和40年代、高度成長期の日本は企業間の取引が増大。サラリーマン達は契約書の作成に追われていた。欧米の企業は26文字のアルファベットを駆使、誰もがタイプライターで契約書を作った。一方、日本では数少ない和文タイピストに依頼するしかなかった。誤字があれば、また打ち直し。公の文書を作るコストは、欧米の3倍と言われた。「誰もが使える日本語ワードプロセッサー、ワープロを作ろう」立ち上がったのは、東芝の若き技術者と、どん底にあえいだ工場の男達。ひらがなを漢字に変換する、不可能と言われた技術に挑んだ。しかし、日本語の壁が立ちはだかった。
 同音異義語、同じ発音の言葉を機械は区別できない。「貴社の記者は汽車で帰社する」どうやったら正しく変換できるのか。また、変換するのに20秒以上かかる言葉もあった。そして突然、商品化を決定する事業部長から開発中止命令が下った。
 絶体絶命に陥ったプロジェクトは、一度限りのワープロの性能テストに全てをかけた。リーダーの森は、機械の操作を一人の女性に託した。タイピストではなく、総務の事務員。「素人でも使えなければ意味が無い」大ばくちに出た。
 累計3千万台を売り上げ、国民的商品となったワープロの執念の開発物語を描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 85 料理人たち 炎の東京オリンピック NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 85 料理人たち 炎の東京オリンピック
プロジェクトX 85 料理人たち 炎の東京オリンピック

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

 昭和34年、東京オリンピックの開催決定に日本中が沸いていた。しかし、大きな問題が起きていた。選手村の食事作りである。世界90カ国以上の国々から集まる選手たち。その数、実に7000人。世界中の料理、2千種類、延べ60万食という、空前の規模の食事を作らなくてはならなかった。しかし、当時、日本の料理界の力は世界に未知数。世界各国から不安の声が挙がった。 料理作りに挑んだのが、帝国ホテルの料理人、村上信夫をリーダーとする一流ホテルのシェフたちだった。戦前から厳しい料理修行を積み、パリにも留学、最高のフランス料理を極めようとしていた村上。このプロジェクトに、料理人の誇りをかけて挑むことになった。 村上らは、世界各国の料理メニューを作るべく奮闘する。問題は、知識の全くない、アジア・アフリカ・中南米などの料理。村上は、在日大使館に赴き、大使の妻などに、料理法を学び続けた。更に大きな問題が立ちはだかった。膨大な量となる食材の確保である。唯一の対策方法は冷凍食材を使うこと。しかし、当時の料理界の常識は「冷凍食材は味が落ちる」。村上たちは、冷凍食材をものにしようと、懸命な努力を続ける。 そしてオリンピックの開幕。膨大な食事を作るため、村上の元に、300人の若手料理人が全国から集められる。街の大衆食堂からやってきた者もいた。北海道からは23人の若者が集まった。札幌、釧路、稚内などからやってきた彼らは、「ふるさとの代表として恥ずかしくない仕事をしよう」と誓い合う。 しかし、その時、各国選手団が連れてきた自国のエリートシェフたちが厨房に登場。更に、オリンピック開催中、料理人たちの身に、事件が襲いかかる。果たして、日本人料理人の食事を世界の選手は満足してくれるのか。東京オリンピックを支えた料理人たちの、知られざる料理作りを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 84 救命救急 ER誕生/日本初 衝撃の最前線 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 84 救命救急 ER誕生/日本初 衝撃の最前線
プロジェクトX 84 救命救急 ER誕生/日本初 衝撃の最前線

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  昭和41年、大阪は万博開催を4年後に控え、道路が拡張。事故の発生率が全国一となり「交通戦争」と呼ばれた。しかし、重症患者を治療できる病院は少なく「たらい回し」が社会問題となった。 大阪府は大阪大学付属病院に24時間重症患者を受け入れる施設の設置を要請。昭和42年8月、日本初の「特殊救急部」が誕生した。リーダーは、34歳の杉本侃(つよし)。メンバーは皆20代から30代若者だった。 第一号の患者は、入れ墨の男。抗争事件で腹を刺されていた。「人殺しを助けるのか」と学内から揶揄(やゆ)された。患者の多くは「指を切った」「目にゴミが入った」など軽傷者。メンバーの気持ちはなえていく。 ある日、交通事故で全身傷だらけになった「多発外傷」の患者が訪れる。メンバーは頭や内臓など懸命に処置。しかし、全く傷のない肺の機能が低下し、患者は亡くなった。理由が分からなかった。以来「多発外傷」との闘いが始まる。 血の海、緊迫した声が飛び交う医療の最前線。修羅場の中で、若き医師達は次第に自分の専門分野を磨いていく。そして、再び「多発外傷」の患者が運び込まれて来た。杉本以下、メンバーは総力を挙げ、消えゆく患者の命と向きあった。そして運命の一瞬。 日本初の救急医療に挑んだ若き医師達の壮絶な闘いのドラマ。
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2005年08月01日

プロジェクトX 83 家電元年 最強営業マン立つ/勝負は洗濯機 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 83 家電元年 最強営業マン立つ/勝負は洗濯機
プロジェクトX 83 家電元年 最強営業マン立つ/勝負は洗濯機

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  昭和28年。日本人の暮らしを大きく変える製品が現れた。 日本初の噴流式洗濯機「SW53」である。頑固な汚れを7分で落とす性能。狭い日本の住宅に適したコンパクトなボディ。価格は従来の外国製洗濯機の半分。家電製品としては初めて、年間6万台を売り上げる大ヒット商品となり、家電時代の扉を開けた。 挑んだのは、三洋電機社長の井植歳男。井植は、14歳から義理の兄・松下幸之助が始めた松下電器を手伝い、大きく成長させた辣腕営業マンだった。しかし、終戦後、GHQの公職追放令で、松下を辞めた。人柄を慕う20人の部下と、自転車の発電ランプを手がける小さな会社「三洋電機」を作った。 井植には、一つの思いがあった。「家電の時代が必ず来る。その第一歩が洗濯機だ。」 当時、女性にとって洗濯は最も過酷な家事だった。道具はたらいと洗濯板だけ。一日数時間かかる過酷な手作業。5人家族で1年間に洗う洗濯物の重さは、象一頭分になった。電気洗濯機は、庶民には高嶺の花だった。 井植は琵琶湖の畔の古びた工場を買い取った。そこは、業績不振で閉鎖された元・松下金属の工場。後片づけをしていた若い技術者がいた。山下友一、27歳だった。山下たち6人の社員は、井植から電気洗濯機の開発を命じられた。 大手メーカー各社も開発にしのぎを削る中、井植は言った。「ライバルは同業他社ではない。お客の心である。」メンバーは、高性能で安価、電力事情の悪い日本の家庭でも使える洗濯機の開発をめざす。新婚の山下は、洗濯で荒れた妻の手を見て奮起した。 しかし、やっと作り上げた洗濯機は売れなかった。世間は「女性の家事に機械はいらない」とあざ笑った。「男性中心」の社会の意識が壁になっていた。その時、「伝説の営業マン」井植が、あの手この手の営業作戦に打って出た。 「お客の心」にこだわり、日本の家電時代を切り開いた男達の熱きドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 82 幸せの鳥トキ 執念の誕生 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 82 幸せの鳥トキ 執念の誕生
プロジェクトX 82 幸せの鳥トキ 執念の誕生

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  トキ。学名ニッポニアニッポン。かつてアジアの空で、数百万羽が薄紅色の美しい羽をはばたかせていた。「トキを見ると幸運が訪れる」アジアの人々にとってトキはかけがえのない鳥だった。しかし20世紀に入り、環境が激変。戦後、佐渡と、能登半島に僅かに残るのみとなった。
 「幸せを運ぶ鳥を守ろう」佐渡の高校教師、佐藤春雄と、トキ保護センターの若き技師、近辻宏帰たちが立ち上がった。生態をくまなく調査。保護運動を広げていった。
 しかし昭和56年、トキは6羽まで激減。環境庁は人工繁殖にかけようと一斉捕獲を実施。日本の空からトキが消えた。
 その直後、驚くべきニュースが飛び込んだ。中国ではとうに絶滅していると思われていたトキが山奥で見つかった。佐藤は、長年研究を続けてきた資料を全て中国に渡した。
 一方、トキ保護センターにいた6羽のトキは次々に死に、老いていった。平成7年、ついに最後の雄ミドリが死亡した。残るは雌のキン1羽。責任者の近辻は絶望した。その時、思わぬ援軍が現れた。
 アジアの鳥を蘇らせようと、半世紀にわたり執念を燃やし続けた、国境を越えたドラマ。
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2005年08月01日

プロジェクトX 81 男たちの復活戦 デジタルカメラに賭ける NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 81 男たちの復活戦 デジタルカメラに賭ける
プロジェクトX 81 男たちの復活戦 デジタルカメラに賭ける

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  不況の中、猛烈な勢いで売り上げを伸ばしている商品がある。デジタルカメラ。通称デジカメ。フイルムも現像も必要なし。撮ったその場ですぐに見られ、インターネットで瞬時に遠く離れた場所に送ることができる夢のカメラである。
 1995年、世界で初めてデジカメを大ヒットさせたのは、カシオ計算機の末高弘之率いる若き技術者たち。1987年、最初の製品を発売。しかし、動画の撮れるカメラが流行し始めたため、全く売れなかった。残された大量の在庫と赤字。プロジェクトは解散となり、末高たちも商品に直結しない基礎研究部門に異動となった。
 当時はバブルの絶頂期。楽に一攫千金できる財テクがブームとなり、地道な物作りは時代遅れと言われた。理工系の学生が給料の高い金融機関に流れるメーカー離れ現象が発生。製造業は取り残された。
 そんななか末高たちは会社トップに秘密のプロジェクトを結成し、ひたむきにデジタルカメラ開発を続ける。しかし、できた試作品は重さ3キロ、特大の弁当箱並み。商品化にはほど遠かった。
 苦境を乗り越えるバネになったのは、戦後の日本を支えてきた物作りへの熱い思いだった。地道な開発努力はやがて小型化に結実。パソコン時代到来を見事に読み、大ヒットへとつなげていく。
 バブルに翻弄されながら、物作りの夢をあきらめず、デジカメ開発を続けた若者たちの10年におよぶ執念のドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 80 桜ロード 巨木輸送作戦 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 80 桜ロード 巨木輸送作戦
プロジェクトX 80 桜ロード 巨木輸送作戦

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
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  昭和35年、奥飛騨山中で敢行された大木の移植工事に世界中の植物学者の注目が集まった。大木はエドヒガン。繊細で幹が傷ついただけで枯れてしまう老桜。その移植は世界でも例がなかった。「絶対不可能」と囁かれた世紀の工事をやり遂げたのはダムに沈む村を思う男たちの執念だった。
 合掌造りで名高い白川郷の近隣、岐阜県荘川村に、かつてその桜はあった。樹齢400年、高さ20メートルの大木。春は村人総出の花見。子供たちは桜吹雪の中で入学式を迎えた。しかし、42年前、衝撃的な知らせが飛び込んできた。ダムの建設が決定。村は水底に沈むことになったのである。村人たちは桜の木にすがって泣いた。しかし一人あきらめられない男がいた。
 高碕達之助。ダムの開発責任者。かつて満州で事業を立ち上げた高碕は敗戦で従業員の故郷を喪失させたと14年にわたり苦しみ続けていた。高碕は桜を見上げる村人を見て思った。「桜を別の場所に移して故郷を残したい」しかし専門家は冷ややかだった。「桜切る馬鹿。梅切らぬ馬鹿」桜の老木は少しでも根や枝を傷つけただけで枯れる。移植に耐えられるはずがない、というのである。
 その時、意外な助っ人が現れた。豊橋の植木職人・丹羽政光(にわまさみつ)。丹羽は弟子の植木職人たちと前代未聞の「桜移植プロジェクト」を立ち上げる。ダムに水をため始めた昭和35年11月15日、世紀の移植工事が始まった。移植先は600メートル離れた国道沿い。運搬はダム工事で使われていた最新鋭のブルドーザー。植木職人、ダム従業員総出の作業が続いた。
 日本人にとって特別な花「桜」の移植工事を成し遂げた人々の奇跡の物語を描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 79 命の水 暴れ川を制圧せよ/〜日本最大 愛知用水・13年のドラマ NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 79 命の水 暴れ川を制圧せよ/〜日本最大 愛知用水・13年のドラマ
プロジェクトX 79 命の水 暴れ川を制圧せよ/〜日本最大 愛知用水・13年のドラマ

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  昭和36年、木曽川の上流から知多半島の突端まで、120キロの田畑を水が潤していった。構想から13年、総工費423億円の「愛知用水」。長年、干ばつに苦しめられてきた農民達の執念が、日本初の巨大プロジェクトを動かした。
 大きな川のない知多半島。雨水を溜めた池が農民達の生活を支えていた。農家の5男に生まれた濱島辰雄。幼い頃、「池番」という見張り役を一日中続けた。池の水を引く順番は厳しく決められ、例え親戚であっても一滴も渡せなかった。
 昭和22年、大干ばつが襲った。その時、農家の久野庄太郎は、木曽川から水を引くことを思い立つ。それを新聞で知った濱島。久野の元に駆けつけ、運命の出会いを果たす。久野と共に、ルート作成のため半島全土を歩き、緻密な測量を行った。3ヶ月後、愛知用水の計画図が完成。半島1市25町村の代表が集まり、昭和23年「愛知用水期成会」が結成された。濱島は高校教師を辞め、末端水路の整備にかけた。久野は親から受け継いだ田畑を全て売り払い活動費にあてた。
 最初の課題は莫大な建設費。二人は首相、吉田茂に直談判。国の協力を取り付けた。昭和32年、工事が始まった。最難関は水源となるダムの建設だった。基礎工事の最中に火山性の有毒ガスが噴出。土砂崩れや落盤など、死傷者が続出した。「自分達が用水を望まねば、こんなことにはならなかった」濱島と久野の2人は断腸の思いだった。犠牲者の冥福を祈り続けた。
 昭和36年、壮絶な工事が終わりダムと水路が完成。9月30日、愛知用水への放水が始まった。知多半島突端の村では、住民総出で水を迎え、神棚に水を供えた。
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2005年08月01日

プロジェクトX 78 東京ドーム 奇跡のエアー作戦 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 78 東京ドーム 奇跡のエアー作戦
プロジェクトX 78 東京ドーム 奇跡のエアー作戦

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  昭和63年3月。日本初の屋根付き球場・東京ドームが誕生した。雨天中止がなくなったプロ野球、夢の球場に日本中が驚いた。可能にしたのは、テフロンで強化した布製の膜材を屋根に使う「膜構造建築」技術。その陰には、テント一筋に生きてきた技術者達の意地をかけた壮絶な物語があった。
 昭和45年の大阪万博で、最も注目を集めた建物があった。世界初のエアドーム「アメリカ館」だった。柱を使わず、空気圧だけで膜屋根を支える。工期が短く、コストも安い。手がけたのは、戦後ミシン一台で出発したテント会社・太陽工業の技術者たちだった。しかし、万博終了後「アメリカ館」は、あえなく燃やされた。当時の建築基準法では、膜屋根は「仮設」扱い。恒久建築物には使えなかった。「所詮、俺たちはテント屋か。」技術者たちは辛酸をなめた。
 それから10年。「テント屋」達に再びチャンスが巡ってきた。プロ野球の檜舞台・後楽園球場に代わる、屋根付き球場建設計画が持ち上がったのである。
 今や、全天候型スポーツ施設として、日本中に普及した膜構造建築。そのさきがけとなった東京ドーム誕生に賭けた人々の熱いドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 77 制覇せよ 世界最高峰レース〜マン島・オートバイにかけた若者たち NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 77 制覇せよ 世界最高峰レース〜マン島・オートバイにかけた若者たち
プロジェクトX 77 制覇せよ 世界最高峰レース〜マン島・オートバイにかけた若者たち

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  昭和36年、日本製のバイクが世界の度胆を抜いた。オートバイのオリンピック「マン島TTレース」で、ホンダのマシンが1位から5位を独占した。日本初の快挙の裏には「友の夢を果たす」という男達の誓いがあった。
 昭和29年、本田技研工業は経営危機に陥っていた。不況と相次ぐマシントラブルへのクレーム。ある日、本田宗一郎はみかん箱の上に立つと従業員の前で宣言した。「オートバイ最高峰のレースを制覇し、日本の若者に希望を与える」。
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2005年08月01日

プロジェクトX 76 わが友へ 病床からのキックオフ〜Jリーグ誕生・知られざるドラマ NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 76 わが友へ 病床からのキックオフ〜Jリーグ誕生・知られざるドラマ
プロジェクトX 76 わが友へ 病床からのキックオフ〜Jリーグ誕生・知られざるドラマ

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  今年6月、開かれるサッカーワールドカップ。この世界最大のショーに地元日本は史上最強と呼ばれる代表チームで挑む。今や、野球を凌ぎ、国内最大の競技人口を誇るサッカー。全ては、10年前に誕生したプロリーグ「Jリーグ」に始まった。
 か
 「企業スポーツから脱却して、老若男女、地域密着のプロリーグを作りたい」立ち上がったのは、不治の病に倒れ、夢破れた元サッカー選手・木之本興三。奇病・グッドパスチャー症候群にかかり、腎臓を切除。数年の命と宣告されていた。
 しかし、その道は、困難を極めた。スポーツのアマチュアリズムを掲げる日本サッカー協会は反対。しかも、チーム名から企業名を外すことに、スポンサーの大企業が猛反発した。「100年かかっても無理だ」。周囲の目は冷たかった。しかし、木之本は、週三回、人工透析を続けながら、執念で説得を続けていく。
 地域密着のプロリーグ・Jリーグ創設に命を賭けた男たちの、情熱と友情のドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 75 運命のZ計画〜世界一売れたスポーツカー伝説 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 75 運命のZ計画〜世界一売れたスポーツカー伝説
プロジェクトX 75 運命のZ計画〜世界一売れたスポーツカー伝説

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  昭和45年、一台の日本製スポーツカーが登場した。フェアレディーZ。発売後たちまちアメリカ市場を席巻し、スポーツカーとしては世界一、140万台の売り上げを記録した伝説の名車である。開発の陰には、日の当たらない部署で仕事に打ち込んでいた自動車マンたちの執念があった。
 昭和35年、一人の男がアメリカに渡った。片山豊、50歳。日産自動車で宣伝畑を歩いていたが、突然渡米を命じられた。当時、日本車の輸出は始まったばかり。片山は売り込みに走るが「二流の車」と言われ、全く売れなかった。
 ある時、片山はスポーツカーに目をつける。ポルシェやジャガーなど人気のスポーツカーは、庶民には高嶺の花。「手頃な値段で高性能のスポーツカーを作れば、きっと売れる。二流のイメージも払拭(ふっしょく)できる。」
 しかし、当時は大衆車が主流。スポーツカーなど売れないと猛反発にあう。
 全くの手探りで開発に挑んだ日本製スポーツカーが、世界的評価を獲得するまでの知られざる自動車マンたちのドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 74 国産コンピューター ゼロからの大逆転〜日本技術界 伝説のドラマ NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 74 国産コンピューター ゼロからの大逆転〜日本技術界 伝説のドラマ
プロジェクトX 74 国産コンピューター ゼロからの大逆転〜日本技術界 伝説のドラマ

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  昭和49年、一台のコンピューターが世界中を驚愕(がく)させた。富士通が開発した大型コンピューター「M190(アメリカでの型式「470V/6」)」。世界最速の演算速度を実現し、巨大企業IBMの性能を凌駕(りょうが)し、NASAやベル研究所など、世界最高の頭脳集団へ輸出された、初の国産コンピューターである。
 開発が始まったのは昭和20年代、リーダーは当時弱小の電話機製造メーカー富士通の技術者、池田敏雄。後にミスターコンピューターと呼ばれる男である。プロジェクトルームはトンカツ屋に、駅のホーム。会社には行かず、様々な場所で若手と議論を闘わせた。「開発は感動から始まる」「挑戦者に無理という言葉はない」
 立ちはだかったのは世界シェア7割を占める巨人IBM。資金力や技術力の差は「象と闘う蚊のようなものだ」と笑われた。池田達が何度、コンピューターを開発しても、更に性能の高いIBMのコンピューターが市場を席巻していった。
 しかし池田は諦めなかった。当時不可能といわれた大規模集積回路「LSI」の搭載に挑んだ。4ミリ四方に数千本もの配線。チップの温度は瞬く間に200度を超え、焼き切れた。LSI同士をつなぐ配線は複雑に絡み合い、まるで「もりそば」。設計は困難を極めた。3年後いよいよIBMを凌駕する演算速度を持ったコンピューターが完成する目前、信じられない悲劇が襲った。
 ゼロから出発し、世界最高の「頭脳」を作り上げた日本の技術者達の、伝説のドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 73 決戦 人類最強の敵〜日本人リーダー 天然痘と闘う NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 73 決戦 人類最強の敵〜日本人リーダー 天然痘と闘う
プロジェクトX 73 決戦 人類最強の敵〜日本人リーダー 天然痘と闘う

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  かつて、6千年に渡り人類を苦しめた病があった。「天然痘」。感染すると、発疹が全身に広がり、激しい痛みをもたらす。奈良の平城京、南米のアステカ文明を壊滅的な状況に追いやった悪魔の病である。今から20年前、その根絶を成し遂げたのは、日本人リーダーに率いられた国際プロジェクトチームだった。
 厚生省職員の蟻田功(ありたいさお)。1962年、蟻田は、出張したアフリカで、子供が次々と天然痘の犠牲になる現実に直面、衝撃を受けた。その後、蟻田はスイス・ジュネーブに飛ぶ。WHO(世界保健機関)の天然痘根絶計画に参加するためだった。しかし、メンバーは何とただ一人。予算もなかった。しかし、蟻田の情熱に打たれ、国も民族も宗教も異なる40人の男性が集結。人類最強の敵との闘いに挑んだ。
 天然痘の最後の巣窟は、ゲリラが跋扈(ばっこ)するアフリカの紛争地帯。しかしプロジェクトメンバーは現地に残り、命がけのワクチン接種を続ける。そして、遂に、天然痘根絶に手が届いたと思われた時、メンバーの一人がゲリラに拉致され、消息を絶ってしまう。このまま、天然痘根絶は、夢と消えるのか。日本人リーダー蟻田は、その時、想像を絶する決断を下した・・・。
 日本人リーダーを中心に、のべ73カ国、20万人が参加し、1980年に成し遂げられた奇跡のプロジェクト、天然痘根絶。その壮大なドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 72 決断 命の一滴〜白血病・日本初の骨髄バンク NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 72 決断 命の一滴〜白血病・日本初の骨髄バンク
プロジェクトX 72 決断 命の一滴〜白血病・日本初の骨髄バンク

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  白血病は、毎年5000人が発症する血液のガン。原因は不明で、老若男女、誰もが突然襲われる。薬で完治する確率は3分の1と言われ、残りは、血液を作る骨髄を他人から移植する『骨髄移植』しか手だてはない。その仲介をするのが骨髄バンクだ。
 昭和61年、大学院生だった大谷貴子は、就職が始まった矢先、突然白血病の宣告を受けた。骨髄移植を受けなければ助かる見込みはなかった。骨髄の型が適合し、移植が可能になるのは兄弟で25%、他人では数千分の1と極めて低い。大谷は、必死の提供者探しの後、奇跡的に母親と適合し、生還した。
 しかし、入院中に、同じ病の苦しみをいやし合い、姉妹のように過ごした1人の少女は、提供者が見つからず、中学3年生の15才で亡くなる。大谷は、少女の死に衝撃を受けた。「誰もが移植を受けられる世の中にならないか」そして、自分の移植を担当した医師、森島泰雄と共に、日本初の骨髄バンクを作るプロジェクトが発足した。
 しかし、世間は冷たかった。「赤の他人のために、なぜ骨髄を取られなければいけないのか。」忙しい仕事を休み手術を受けるわずらわしさ、無関心、さらに、登録者1人につき数万円かかる検査費用の捻出が壁となった。
 平成元年、9月。やっとの思いで第1号移植への道が見えてきた。日本初の提供者は40才男性。岐阜の市役所職員だった。恐怖、使命感、手術が近づく中、1人の男の心は揺れた。そしてその決断に骨髄バンクの未来がかかった。
 今や、白血病患者の命を救うかけがいのない制度となった骨髄バンク実現のため、ボランティアで心血を注いだ人々のドラマを伝える。
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2005年08月01日

プロジェクトX 71 突風平野 風車よ闘え!〜執念がエネルギーを生んだ NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 71 突風平野 風車よ闘え!〜執念がエネルギーを生んだ
プロジェクトX 71 突風平野 風車よ闘え!〜執念がエネルギーを生んだ

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  昭和58年、空前の大ヒットとなった連続ドラマ「おしん」。豪雪が貧困をもたらした山形の中で、さらなる苦しみを背負った町がある。山形県立川町。最上川から吹き付ける強烈な風と格闘を続けてきた。
 奥羽山脈から庄内平野に吹き下ろす「清川だし」、日本三大悪風と言われる。
 「風を逆手にとって農業に生かそう」
昭和55年、役場の企画課に風プロジェクトが発足。風力発電を行い、そのエネルギーで温室栽培を行い、余った電力を電力会社に売るという日本初の試みが始まった。
 現在、イチゴの温室栽培を始め、電力会社への売り上げが年間8千万円に上る立川町。苦しめられた風を、希望の風に変えた住民達の執念の物語を描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 70 ゆけチャンピイ 奇跡の犬〜日本初の盲導犬・愛の物語 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 70 ゆけチャンピイ 奇跡の犬〜日本初の盲導犬・愛の物語
プロジェクトX 70 ゆけチャンピイ 奇跡の犬〜日本初の盲導犬・愛の物語

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  「一人で自由にどこへでも歩いて行きたい。」昭和32年夏、光を失った若者の夢を叶えた一頭の犬が登場した。名はチャンピイ。日本初の盲導犬となったシェパードである。
 チャンピイを育て上げたのは、絶望の淵で出会った二人の若者だった。
 18歳で突然失明した河相洌。大学中退を余儀なくされ母の付き添い無しには一歩も外に出歩けなかった。その時、生後半年のチャンピイをもらった。「この犬を訓練して街を歩けないか。」
 訓練をかって出たのは塩屋賢一。26歳のとき勤めていた会社が倒産。死の病とされた結核を患い、再就職も叶わなかった。自宅に犬の学校を開き、金持ちの犬をしつけて食いつないでいたが、何かむなしかった。人の役に立つ仕事を成し遂げてみたかった。
 しかし、二人の行く手には難問が山積していた。
 「畳文化の日本では座敷に犬をあげられない。」「犬なんか信用できない。妻に引かせろ。」盲導犬反対論が吹き荒れていた。
 そんなある日、塩屋は、妻子そっちのけでチャンピイと24時間寝食を共にすることを決意する。そして、主人を喜ばせたいという犬の忠実な性格を信じ、誰もが想像しなかった訓練方法を編み出していく。
 そして迎えた運命の最終試験。コースは難所続きだった。坂道、階段、そして車が行き交う大通り。チャンピイは、果たして河相と共に無事、戻ってくることができるのか。
 日本初の盲導犬チャンピイ誕生に命をかけた人々の愛と絆の物語を描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 69 炎を見ろ 赤き城の伝説〜首里城・執念の親子瓦 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 69 炎を見ろ 赤き城の伝説〜首里城・執念の親子瓦
プロジェクトX 69 炎を見ろ 赤き城の伝説〜首里城・執念の親子瓦

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  かつて、沖縄の地に栄えた琉球王国。その王宮、首里城は「壮麗な赤い城」と呼ばれた。燃えるような朱塗りの柱。深みを帯びた壁の弁殻。そして、気品ある赤瓦の屋根。城は、人々の誇りだった。
 しかし、昭和20年の沖縄戦で、城は跡形もなく崩れ去った。戦後、米軍統治のもと、沖縄の風景は激変、伝統の赤瓦の家並みはコンクリート建てになった。「あの伝説の赤い城を取り戻したい。」人々の願いに応え、昭和60年、首里城を復元するプロジェクトが生まれた。
 最大の課題は、5万5千枚の赤瓦。気品ある赤の色に加えて、吸水率が低い強い瓦を焼く最高の技術が必要とわかった。沖縄中の瓦業者に頼んだが、誰も引き受けなかった。
 その時立ち上がったのは、瓦屋の三男坊で画家の奥原崇典。城の復活を夢見る重病の父・崇実に代わり、莫大な借金をして窯を作った。しかし、失敗は4万枚に及ぶ。ある日、寝たきりだった父が工場に現れた・・・
 ふるさとの誇りを取り戻すため、幻の赤い城の復活に挑んだ人々のドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 68 王が眠る 神秘の遺跡〜父と息子・執念の吉野ケ里 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 68 王が眠る 神秘の遺跡〜父と息子・執念の吉野ケ里
プロジェクトX 68 王が眠る 神秘の遺跡〜父と息子・執念の吉野ケ里

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  平成元年2月。佐賀県の小さな丘から発見された弥生時代の遺跡が、日本中の注目を集めた。吉野ヶ里、九州での高い文化の存在を示す巨大遺跡である。わずか2ヶ月で100万人もの観光客を集め、古代史ブームを巻き起こした。その影には地元に住むある親子のドラマがあった。
  昭和35年、高校で歴史の教師をしていた七田忠志(47歳)は、土器片が見つかる町はずれの「吉野ヶ里の丘」に興味を示し、息子・忠昭を連れて通 い始めた。「わが故郷には、すごい古代文明があった」。そう確信した忠志は、数多くの論文を発表。しかし、「そんな田舎にあるはずがない」と誰にも相手にされず、失意のうちに亡くなった。
  そして、昭和61年、吉野ヶ里に工業団地の建設計画が持ち上がる。それに先立つ発掘調査の指揮を執ったのが、県の文化課に勤めていた息子の忠昭だった。
  故郷の誇りを取り戻そうと、必死に大地と格闘した親子の30年に渡る情熱の物語を描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 67 あさま山荘 衝撃の鉄球作戦 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 67 あさま山荘 衝撃の鉄球作戦
プロジェクトX 67 あさま山荘 衝撃の鉄球作戦

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  日本屈指の避暑地・軽井沢。30年前、閑静な別荘地は、突然の大事件に見舞われた。「あさま山荘事件」。連合赤軍が、山荘の管理人夫人を人質にたてこもった。動員された警察官は、延べ3万5千人。犯人から激しい銃弾が撃ち込まれた。10日間・218時間に及ぶ攻防は、日本の犯罪史上、最長の人質救出劇となった。
 しかし、「あさま山荘事件」を解決したのは、警察官たちの力だけではなかった。「俺たちが築いてきた別荘地を守りたい…」 多くの地元住民が、突入作戦を陰で支え続けた。
 前線に立つ警察を支えたのは地元住民だった。氷点下20度の寒さから、警官隊を守ったのは村の女達が作った温かい握り飯。男達は、犯人の銃弾から身を守る土嚢はを作った。そして秘密兵器、あの鉄球クレーンの操作を駆って出たのは、重機オペレーターの兄弟だった。
 事件発生から10日目、「これだけ多くの支援を受けた作戦が成功しないわけがない」指揮官は決断する。
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2005年08月01日

プロジェクトX 66 医師たちは走った〜医療革命 集団検診 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 66 医師たちは走った〜医療革命 集団検診
プロジェクトX 66 医師たちは走った〜医療革命 集団検診

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  昭和34年、信州の人口6000人の小さな村・八千穂村で、日本の医療を変えた画期的な試みが始まった。全住民を対象にした「集団検診」である。高度成長に向かう日本の中で、農村医療は取り残されていた。過酷な暮らしで、脳卒中や結核が絶えなかった山間の村々。しかし、現金収入のない農民たちは「病気は恥だ」と我慢した。医者にかかるのは手遅れになってから。死亡診断書を書いてもらうためだった。「農民たちを救いたい。」立ち上がった一人の医師がいた。佐久病院院長・若月俊一。信州の赤ひげと呼ばれた男だった。
 しかし、幾多の困難が待ち受けていた。問診で衣食住を聞かれることに、村人は抵抗した。やがて集団検診がきっかけで、一人の糖尿病の男性の命が救われ、人々の見る目が変わった。昭和41年、ついに八千穂村の一人あたりの医療費は全国平均を大きく下回った。集団検診はその後全国に広まってゆく。
 医師たちの熱い思いと、農民たちとの交流を通して、農村医療の基礎を作った姿を描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 65 アンコールワットに誓う 師弟の絆 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 65 アンコールワットに誓う 師弟の絆
プロジェクトX 65 アンコールワットに誓う 師弟の絆

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  10年に及ぶ内戦が続いたカンボジア。世界遺産アンコールワットは、無残に破壊、放置された。35人いた遺跡保存官はポルポト派によって虐殺され、生き残ったのはわずか3人だった。アジアの宝は崩壊を待つばかりだった。
 「亡くなった友のために、そして民族の誇りを取り戻すために、アンコールワットを修復したい。」生き残った保存官の一人、ピッ・ケオさんは、助けを日本の友に求めた。
その男は戦前、カンボジアの技術者と共に、アンコールで修復に汗を流した鹿児島大学の教授(現上智大)・石澤良昭だった。
 「石の心を読む」といわれたベテラン石職人、小杉孝行の協力を得てカンボジアへ渡った。
「アンコールワットを作り上げた君たちの祖先の仕事はいかにすごいか。」団長の石澤は、歴史を知らない若者達に必死に説き、懸命に皆をまとめた。
 7年に及ぶ修行期間が終わり、今年ようやく本格的な修復作業に入ったアンコールワットの西参道。日本人とカンボジア人が、激しくぶつかり合う中で心を通 わせ、一人前の石職人が誕生するまでのドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 64 8ミリの悪魔VS特命班〜最強の害虫・野菜が危ない NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 64 8ミリの悪魔VS特命班〜最強の害虫・野菜が危ない
プロジェクトX 64 8ミリの悪魔VS特命班〜最強の害虫・野菜が危ない

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  昭和47年、日本への復帰に沸く沖縄で、人々を震撼させる出来事が起きた。東南アジアから恐るべき害虫が飛来したのである。
 「ウリミバエ」。
体長わずか8ミリのこの虫は、カボチャ、ピーマンなどの野菜に寄生し卵を産み付ける。野菜には瞬く間にウジが沸き、腐ってしまう。世界各地で猛威を震い恐れられていた、史上最悪の害虫「8ミリの悪魔」だった。
 天敵のいない沖縄の島々で、ウリミバエは大繁殖。次第に北上した。もし、本土に上陸すれば、日本の野菜全体が壊滅的な被害を受ける。日本政府は「植物防疫法」により、沖縄県からの野菜の持ち出しを厳禁した。「沖縄全域からウリミバエを根絶しよう」沖縄県農業試験場の研究者を中心に、プロジェクトチームが結成された。リーダーは与儀嘉雄。
「沖縄でウリミバエをくい止めろ」政府は、ウリミバエ根絶のため、思いも寄らぬ方法を沖縄県に提案した。それは、放射線「コバルト60」をハエに照射して、生殖細胞を破壊。繁殖力を失ったハエを増殖させることで、何十年もかけて撲滅するという、気の遠くなるような作戦だった。
 全作戦が始まって一年、二年と過ぎる中、ハエが減り始めた。「これで、ついに撲滅出来る」プロジェクトが、そう確信した時、その行く手に、とんでもない壁が立ちはだかった。それは、沖縄在留アメリカ軍基地。「内なる国境」だった。
 21年に渡る闘いの末、ウリミバエの根絶に成功。日本の食糧を守り抜いた沖縄の男たちのドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 63 通天閣 熱き7人〜商店主と塔博士の挑戦 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 63 通天閣 熱き7人〜商店主と塔博士の挑戦
プロジェクトX 63 通天閣 熱き7人〜商店主と塔博士の挑戦

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  大阪のシンボル、通天閣。戦時中に一度焼失したこの塔を、昭和31年に再建したのは、行政でも企業でもなく、古着屋、写真屋、ウナギ屋など、地元・新世界の商店主たちだった。
 戦後、焼け野原だった大阪・新世界に、闇市が生まれた。集まったのは、裸一貫同然の男たち。意地としたたかさだけで、焼け跡を生き抜いていた。 復員して麻雀屋を始めた知里正雄。父の末吉から「焼失した通天閣を再建したい」と、夢を託された。
 末吉が作らせた原図をもとに、7人の商店主が立ち上がった。その挑戦は、素人ならではの大胆なもの。公園を勝手に用地に選び、口八丁で市の許可をとった。設計者には、日本一の大御所・内藤多仲を口説いた。「もし再建できたらうどんで首をつったる」とあざ笑う街の人々を説得し、資金を集めた。
 焼け跡から立ち上がった庶民が、行政、専門家を巻き込み、後に大阪のシンボルとなる一本の塔を建てるまでの、意地と執念のドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 62 謎のマスク 三億円犯人を追え〜鑑識課指紋係・執念の大捜査 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 62 謎のマスク 三億円犯人を追え〜鑑識課指紋係・執念の大捜査
プロジェクトX 62 謎のマスク 三億円犯人を追え〜鑑識課指紋係・執念の大捜査

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  警察の信頼を揺るがせた東芝府中三億円強奪事件。それから18年後、再び起きた三億円事件に、鑑識課指紋係の男達が立ち上がった。
 昭和43年12月10日、府中市で三億円強奪事件が発生。鑑識課に配属されたばかりの塚本宇兵は、うんざりしながら指紋採取にあたっていた。その頃は物証よりも、自供に頼る捜査が優先。現場に入るのは捜査一課が一番、指紋係はニの次だった。警視庁はのべ17万人を越える捜査員を投入。しかし犯人はつかまらなかった。そして昭和50年、時効を迎えた。
 昭和61年11月25日、有楽町で悪夢がよみがえった。3億3千万円が4人組の男に強奪された。その時、塚本は鑑識課のキャップになっていた。捜査一課の指揮官は塚本の3つ先輩の緒方保範。最初に配属された派出所で共に「腕利きの刑事になろう」と熱く語った仲だった。その後、緒方は捜査一課のエースに。塚本は夢敗れ鑑識課に。
「どっちが早く犯人をあげるか」因縁の勝負が始まった。
 緒方は遺留品を徹底的にあらい犯人の足取りを追う。塚本は500万件を越える膨大な指紋との照合を進めていく。長引く捜査に世間からは非難にさらされた。そして妹の死。
 苦難の末、浮かび上がったのは意外な犯人像だった。
 日の当たらない鑑識という仕事に誇りをかけ、リベンジを果たした男達のドラマ。
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2005年08月01日

プロジェクトX 61 魔法のラーメン 82億食の奇跡〜カップめん・どん底からの逆転劇 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 61 魔法のラーメン 82億食の奇跡〜カップめん・どん底からの逆転劇
プロジェクトX 61 魔法のラーメン 82億食の奇跡〜カップめん・どん底からの逆転劇

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  昭和46年。20世紀の食生活を劇的に変えた一つの食品が登場した。お湯を注いで3分、いつでもどこでも食べられる「魔法のラーメン」、カップめんである。高度経済成長のもと、寸暇を惜しんで働く日本人の胃袋を満たしただけでなく、世界中の飢餓や災害の現場に欠かせない貴重な食料となった。年間消費量 は世界で82億食。メイドインジャパンの代表格である。
 開発したのは、日清食品の若手技術者たち。当時、会社は「ラーメン戦争」と呼ばれる他社との熾烈な価格競争で業績が悪化していた。社長の思いがけない発想をもとに、自らの命運をかけたカップめん開発が始まる。
 開発は困難を極めた。カップの形に合わせためんは、中まで火が通らない。一日20回にも及ぶ試食で、メンバーの体重は10キロも減った。ようやく作った試作品も、問屋から「食べ物ではない」と拒絶された。
 逆境の中、食品加工技術の限界に挑んだ若者とアイデア社長の熱き闘いを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 60 レーザー 光のメスで命を救え〜倒産工場と脳外科医の闘い NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 60 レーザー 光のメスで命を救え〜倒産工場と脳外科医の闘い
プロジェクトX 60 レーザー 光のメスで命を救え〜倒産工場と脳外科医の闘い

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  レーザー光線。その強力な出力から「殺人光線」と呼ばれた技術を医療に用い「神の指先」と言わしめたレーザーメスを開発した男たちがいた。
 立ち上がったのは脳外科医、滝澤利明しかし当時まるで「巨大な大砲」だったレーザー発射装置を手術室に出し入れできるほどコンパクトにし、直進するレーザー光線を医師の手元まで送り、自在に照射することは至難の業だった。しかも開発から3年後、町工場は倒産。技術者達は妻子を実家に帰し、債権者から身を隠しながら開発を続けた。
 昭和50年、様々な困難を乗り越え、ついにレーザーメスが完成した。そして医療機器として当時の厚生省から認可を待つ昭和54年、悪性の脳腫瘍を患い余命1年と宣告された少女の手術に挑むことになる。
 尊い命を救うため、レーザーメス開発にかけた脳外科医と技術者たちの壮絶なドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 59 リヒテルが愛した執念のピアノ NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 59 リヒテルが愛した執念のピアノ
プロジェクトX 59 リヒテルが愛した執念のピアノ

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  昭和44年。1台の日本製ピアノがヨーロッパ中の話題をさらった。
 美しい音色に、素晴らしい鍵盤のタッチ。18世紀イタリアで生まれ、「楽器の王様」と称されるピアノ。
 その300年のピアノの歴史に名を刻んだ、日本の職人たちの執念のドラマを描く。場所はイタリア・パドヴァ。演奏するのは、天才ピアニスト・リヒテル。ヤマハの技術者たちが、固唾をのんで見守る中、リヒテルは静かにピアノを弾きはじめた…。
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2005年08月01日

プロジェクトX 58 巨大モグラ ドーバーを掘れ〜地下一筋・男たちは国境を越えた NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 58 巨大モグラ ドーバーを掘れ〜地下一筋・男たちは国境を越えた
プロジェクトX 58 巨大モグラ ドーバーを掘れ〜地下一筋・男たちは国境を越えた

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  1991年春、イギリスとフランスをつなぐ海底トンネル「ドーバー海峡鉄道トンネル」が貫通 した。ヨーロッパを陸続きにする、ナポレオン以来の壮大な夢を実現させたのは、「鉄のモグラ」といわれる巨大なトンネル掘削機だった。
 最難関といわれたのはフランス側の海底部。軟弱な地盤と無数の断層、高い水圧の中、16キロを僅か3年で掘り抜くという前代未聞の計画だった。
 挑んだのは川崎重工の技術者。世界中で最も難しいといわれる日本の地下を掘りつづけてきた男達だった。
 リーダーの宇賀克夫は、100人の技術者を総動員して最先端技術を駆使したマシーンを完成させる。しかし海底での工事は想像をはるかに超えるものだった。チョーク層と呼ばれる独特な地盤との闘い。予期せぬ カッターヘッドの亀裂事故。そして文化の違いから生まれるフランス人技術者との葛藤。
 メンバーは、不眠不休でマシーンの改良を重ね、フランス人に粘り強く技術指導を続ける。チームワークで「世界最強のモグラ」へと生まれ変わったマシンは、工期をはるかに上回る驚異的な速さでプロジェクトを成功へと導く。
 ヨーロッパの夢をかけた世紀の大工事を成し遂げた日本人技術者の意地と執念のドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 57 絶体絶命650人 決死の脱出劇〜土石流と戦った8時間 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 57 絶体絶命650人 決死の脱出劇〜土石流と戦った8時間
プロジェクトX 57 絶体絶命650人 決死の脱出劇〜土石流と戦った8時間

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  平成5年8月6日。鹿児島で未曾有の大災害が起きた。100年に一度といわれる集中豪雨で、48人が死亡した「8.6水害」である。
 この時、国道10号線と、JR日豊本線が崖崩れで寸断。渋滞中のドライバーと、列車の乗客あわせて650人が竜ヶ水駅前に取り残された。前は海、後ろは崖。逃げ場はなかった。その中に、たまたま検問をしていた警察官がいた。有村新市(44)。4年前くも膜下出血で倒れて以来、交番勤務に移動となっていた。豪雨の中、立ちつくしていた人々は、制服姿の有村をみつけると、すがるように次々と集まってきた。
 有村は決死の避難誘導を決意する。同僚の前田とともにパニック寸前の人々と向き合った。しかし、再び土石流が襲いかかり、有村は海へ投げ出される。
 陸上に残された人々は土砂によって完全に逃げ場を失い絶体絶命の窮地に陥った。その時、思いがけない助っ人が現れた。8時間に及ぶ奇跡の脱出作戦。その感動のドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 56 白鷺舞え 空前の解体工事〜姫路城・定年前の大仕事 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 56 白鷺舞え 空前の解体工事〜姫路城・定年前の大仕事
プロジェクトX 56 白鷺舞え 空前の解体工事〜姫路城・定年前の大仕事

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  世界でも有数の巨大木造建築、国宝・姫路城。終戦後、倒壊寸前にまで荒廃していたこの城を救ったのは、昭和31年から8年間にわたって行われた解体修理である。高さ50メートルの天守閣をいったんバラバラに解体して、一から組み直す前代未聞の難工事となった。
 リーダーに指名されたのは、まじめ一途な文部技官・加藤得二。奈良で寺院の修復を手がけていた加藤にとって、姫路城は経験したこともない巨大建築物だった。ふるさとの城を救えと、地元の大工など100人が参加し、「播州一の宮大工」と謳われた和田通夫が、棟梁を務めた。
 最大の問題は、城の要となる長さ25メートルの心柱(しんばしら)。大きく傾き、内部が腐っていた。代わりとなる、巨大なヒノキを求めて、加藤は日本中を歩き回る。巨木探しのさなかを襲った、思いがけない事故。プロジェクト最大の危機に、和田が発した起死回生の一言とは…
 誇りと技をかけて、天下の名城をよみがえらせるために闘った男達の壮絶なドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 55 逆転田舎工場世界を制す〜クオーツ・革命の腕時計 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 55 逆転田舎工場世界を制す〜クオーツ・革命の腕時計
プロジェクトX 55 逆転田舎工場世界を制す〜クオーツ・革命の腕時計

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  時を限りなく正確に刻む。そんな夢を叶えた時計がある。世界初のクオーツ腕時計。電気を流すと正確な振動を繰り返す水晶=クオーツクリスタルを使い、一日わずか0.2秒の誤差を実現した夢の時計である。昭和44年に発売されると、たちまち革命を引き起こし、今やクオーツは全世界の腕時計の98%を占めるまでになった。
 時計を作り上げたのは、故郷を再生しようと立ち上がった男たちだった。
 開発は困難を極めた。当時、世界最小のクオーツ時計でもタンスより大きかった。超小型化と超省電力化が必要だった。しかも、全く耐震性がなかった。さらに世界の時計王国スイスがこぞってクオーツ腕時計の開発に乗り出した。それでも山崎はあきらめることなく全国の大学を回り、学生を口説き続けた。その熱意に打たれた若き技術者たちが諏訪に集い、奇跡の時計の開発に挑んでいく。
 故郷の復活に立ち上がった男と、その心意気に応えた若手技術者たちの、今に語り継がれる逆転のドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 54 鉄の男たち 逆境からの日本一〜伝説の釜石ラグビー部 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 54 鉄の男たち 逆境からの日本一〜伝説の釜石ラグビー部
プロジェクトX 54 鉄の男たち 逆境からの日本一〜伝説の釜石ラグビー部

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  日本ラグビー史上、前人未到の7連覇を達成した伝説のチーム、新日鐵釜石ラグビー部。彼らは大卒中心の社会人ラグビー界にあって、地元出身の高卒選手を中心とした「雑草集団」だった。
  そんな鉄の男たちを、突然の不況が襲う。部員がリストラされ、部は存続の危機を迎えた。その時、一人の男が立ち上がった。市口順亮(よしあき)。本社から赴任したエリート技術者だった。
 過酷な現場での仕事を終えた後の厳しい練習、退部するものも相次いだ。「所詮監督はエリート。俺たちの気持ちはわからない。」市口はそんな部員達をグランドで殴り合いをしながら議論、家に呼んで「釜石から日本一のチームを作ろう」と語りあう。
 そんな折り、「釜石の製鉄所が合併される」という衝撃的なニュースが飛び込んでくる。市口は会社の上層部から告げられた。「ラグビー部は同じ会社に2つもいらない」ラグビー部は、勝たなければ廃部という瀬戸際に追い込まれる。
 「廃部か存続か」。運命の試合は、劇的な結末を迎える。
 故郷を愛し、共に生きた鉄鋼マンたちの不屈のドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 53 炎のアラビア〜巨大油田に挑んだ技術者たち NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 53 炎のアラビア〜巨大油田に挑んだ技術者たち
プロジェクトX 53 炎のアラビア〜巨大油田に挑んだ技術者たち

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  敗戦で海外での油田開発を一切禁止され、輸入に頼るしかない日本の石油は、欧米のメジ ャーに牛耳られていた。昭和27年、サンフランシスコ条約で独立を果たした日本は、自主開発原油(日の丸原油)の確保に乗り出した。立ち上がったのは実業家・ 山下太郎。交渉の末開発が認められたのは、沖合の洋上油田という難所。しかも「一発目で石油を当てること」が絶対的指命として課せられた。日本の命運をかけ、日の丸原油確保に命懸けで取り組んだ技術者の意地と執念を描く。
 昭和48年、オイルショックが襲った。アラブ諸国が一方的な供給削減を発表し、日本中がパニックに陥った。確保した日の丸原油では到底足りなかった。
 日本は、アブダビにある世界最大級の大油田に目をつけたが、石油と水が混ざった特異な油田。メジャーたちが開発不可能と手を引いた難所中の難所だった。 リーダーは石油技術者、細井弘。山内肇の弟子だった。細井たちは、実に10年に及ぶ試行錯誤を繰り返し、水と油を見事に分けて取り出す技術を開発していく。
 日本の血脈、石油の安定確保をかけ、世界最難関の油田に挑んだ男たちのドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 52 兄弟10人 海の革命劇〜魚群探知機・ドンビリ船の奇跡 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 52 兄弟10人 海の革命劇〜魚群探知機・ドンビリ船の奇跡
プロジェクトX 52 兄弟10人 海の革命劇〜魚群探知機・ドンビリ船の奇跡

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  今や世界中の漁船になくてはならない装備となった「魚群探知機」。超音波を使い、海の中の魚群を見つけだすこの装置は、勘と運に頼っていた漁業を革命的に変えた。
 昭和24年、魚群探知機を世界で初めて実用化したのは、長崎の港町、口之津に暮らす二人の青年だった。古野清孝、清賢兄弟。二人には8人の妹、弟がおり、失職中 の父に代わって、漁船の電気関係の工事作業で家族の暮らしを支えていた。
 家族のために困難な開発に挑んだ二人の若者と「どんびり船」の船員たちの挑戦のドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 51 通勤ラッシュを退治せよ〜世界初・自動改札機誕生 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 51 通勤ラッシュを退治せよ〜世界初・自動改札機誕生
プロジェクトX 51 通勤ラッシュを退治せよ〜世界初・自動改札機誕生

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  高度経済成長下の昭和30年代、人口集中に伴い、鉄道の混雑が大きな社会問題になっていた。ダイヤの乱れ、ホームからの転落事故などが多発。鉄道会社は、各メーカーに自動改札機の開発を打診した。
 「不可能だ」と各社が後込みする中、手を挙げたのが立石電機(現オムロン)だった。
 人の流れを止めないためには、1分間に80人の切符を処理しなければならなかった。更に、大人と子供の区別 、男女の区別、不正な券の発見、荷物と人との判別など、膨大な磁気処理が必要だった完成までに6年を費やし、磁気の技術に革命を起こした自動改札機の壮絶な開発物語を描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 100 地図のない国 執念の測量1500日 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 100 地図のない国 執念の測量1500日
プロジェクトX 100 地図のない国 執念の測量1500日

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  25年前、灼熱の大地アフリカで、日本人測量士が壮大なプロジェクトに挑んだ。
「一国の地図をゼロから作る」。それは、4年に及ぶ、文字通り、命を賭けた壮絶な戦いだった。

 1950年代、次々と独立を果たしたアフリカ各国。そのなかでも最も熾烈な闘争を繰り広げた国があった。西アフリカ・ギニア共和国。

 「隷属による豊かさよりも、貧しさのなかの自由を選ぶ」。58年、宗主国フランスに対し一方的に独立を宣言。数百年に渡る植民地支配と決別した。

 しかし、フランスは反発。ギニアの公共施設を破壊し、国の重要資料のほとんどを本国に持ち去った。そのなかには、後の国づくりの要ともいえる「国土基本図(地図)」も含まれていた。地図がないため、ギニアの開発は行き詰った。道路、鉄道、農地…新たな国土開発の目処すら立たなかった。そして、まもなく世界最貧国に転落した。

 1977年、地球の裏側から救いの手が差し伸べられた。日本政府はODA(政府開発援助)としては異例の、総額10億円の予算を提供。ギニアの国土基本図作成に乗り出す。ベテラン測量士・本島建三(当時・52歳)を筆頭に、日本全国から腕利き測量士が集められた。

 しかし、その作業は困難を極めた。過酷な自然環境。摂氏40度を越す熱風が測量隊を襲った。さらに、ギニア人との深刻な文化の違い。男たちは絶体絶命の窮地に立たされた。

 「ギニアを豊かにしたい」という思いを胸に、アフリカの大地と格闘し、やがて現地の人々と心を通わせ一国の地図を完成させた測量士たちの冒険と挑戦のドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 1 巨大台風から日本を守れ/富士山頂・男たちは命をかけた NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 1 巨大台風から日本を守れ/富士山頂・男たちは命をかけた
プロジェクトX 1 巨大台風から日本を守れ/富士山頂・男たちは命をかけた

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  日本列島には、古来数多くの台風に襲われ、甚大な被害を受けてきた歴史があった。台風から日本列島を守るため、日本の最高所・富士山頂に巨大レーダーを建設するという、気象庁と民間企業の前代未聞のプロジェクトが結成された。
 標高3700メートルという史上例のない高地での大規模な土木工事。それは、高山病と永久凍土との苦闘だった。そして、富士山頂への巨大レーダーの空輸は、ヘリコプターパイロットの熟練した技術と渦巻く乱気流との命懸けの作業だった。
 世界最大の気象レーダー建設のプロジェクトは、発想から5年の歳月と延べ9000人の人間を巻き込んでの「不可能」への挑戦の物語。
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2005年08月01日

プロジェクトX 50 父と息子執念燃ゆ大辞典〜30年・空前の言葉探し NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 50 父と息子執念燃ゆ大辞典〜30年・空前の言葉探し
プロジェクトX 50 父と息子執念燃ゆ大辞典〜30年・空前の言葉探し

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

 辞書「広辞苑」。収録語20万。2320ページ。
 国語辞典のみならず、地名・人名・流行語などの百科事典の機能も兼ね備えた、日本初の本格的な「日本語の総合辞典」である。昭和30年、発売と同時に大ベストセラーになり、いまもその地位 は揺るぎない。
 辞書作りの中心となったのが、新村出と新村猛。言語研究に生涯を捧げた親子だった。「一流国になるには、日本語の総合辞典が不可欠だ」。その信念で、二人は戦前から10年の歳月をかけ、15万語の辞書の原稿を完成させた。しかし、昭和20年、原稿を印刷所に持ち込み、印刷開始の直前に空襲にあった。原稿、活字、印刷用紙、全てが一瞬で灰と化した。
 戦後、二人は辞書作りを再開する。しかし終戦直後の日本は、時代が急速に動いていた。新しい言葉が次々と生まれた。意味も変化した。戦前の蓄積では対応できず、一から言葉を選び、意味を考えるという、気の遠くなる作業が必要だった。
 それを支えたのが、7人の若い編集スタッフだった。新聞を読みあさり、喫茶店や、公園で遊ぶ子供たちの会話にまで耳をそばだて、言葉選びに奔走した。彼らは、新村親子を中心に、膨大な言葉の海と格闘を続けていく・・・・。
 日本語の豊かさに誇りを持とうと、前代未聞の辞書作りに情熱を燃やした親子と若者たちのドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 49 男たちのH-Uロケット 天空へ NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 49 男たちのH-Uロケット 天空へ
プロジェクトX 49 男たちのH-Uロケット 天空へ

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

 日本が誇る純国産ロケット、H-II。
それは、日本の先端技術の粋を尽くした、技術者たちの意地の結晶だった。
昭和30年代の開発黎明期から、平成6年のH-IIロケット打ち上げ成功まで、40年にわたる男たちの熱き戦い。
「ロケット開発の父」と言われる東大教授糸川英夫が、日本初のロケット発射実験を行ったは、昭和30年。使われたロケット「ペンシルロケット」は、大きさ23センチの小さなものだったが、その影響は計り知れなかった。この実験を知り、多くの若者がロケット開発を志していく。
しかし、その後のロケット開発は苦難の連続だった。計画は難航し、ついにアメリ カの技術を導入することを余儀なくされる。技術の一部は、日本の技術者は全く見ることのできない「ブラックボックス」になっていた。国産ロケット計画実現に向けての技術者たちの執念の戦いを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 48 腕と度胸のトラック便〜翌日宅配・物流革命が始まった NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 48 腕と度胸のトラック便〜翌日宅配・物流革命が始まった
プロジェクトX 48 腕と度胸のトラック便〜翌日宅配・物流革命が始まった

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

 昭和51年に誕生した宅急便。「電話一本で翌日配達」を売り物にドア・トゥ・ドアで荷物を届ける画期的なシステムである。戦後最大のサービス革命と言われ、日本人の暮らしを一変させた。
宅急便を始めたのは、深刻な経営危機に直面していたヤマト運輸。二代目社長・小倉昌男(50)が社運を賭けて決断した。成功の鍵は全国津々浦々に拠点を作るネットワークだった。コストがかかる個人相手の輸送はリスクが高く不可能というのが業界の常識だった。しかし、長年の取引先から撤退して宅急便に賭ける小倉の気迫にドライバー達は奮い立つ。最も営業が難しいと見られた北海道を任されたのは、トラック運転手・加藤房男(27)。広大な北海道で、どうしたら不特定多数の家庭から効率よく荷物を集められるのか。行き詰まる加藤を支えたのは、自分の町にも来て欲しいという住民達の声だった。「待っている人達がいる限り絶対に諦めない」。加藤は全道に営業所の「のぼり」を立てることを夢見て奔走する。更に、国が立ちはだかった。運輸省は、それまでの常識を次々と覆すヤマト運輸に対し、免許を認めなかった。
ヤマトは運輸省を相手にどう闘いぬくのか?
戦後から続いた規制行政にいかに風穴を開けるのか? 北海道全域にのぼりを立てるという加藤の夢は叶うのか・・・・?物流を劇的に変える新サービス・宅急便を全国に普及させた男達の15年のドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 47 炎上 男たちは飛び込んだ〜ホテルニュージャパン・伝説の消防士たち NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 47 炎上 男たちは飛び込んだ〜ホテルニュージャパン・伝説の消防士たち
プロジェクトX 47 炎上  男たちは飛び込んだ〜ホテルニュージャパン・伝説の消防士たち

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

 昭和57年2月8日。日本災害史上例を見ない火災事故が発生した。
地上10階、東京でも有数の巨大ホテル、ホテルニュージャパンの火災である。1昼夜に渡って燃え続け、犠牲者33人を出す大惨事となった。この時、炎に包まれ、絶望的と言われた高層階から、66人もの人命が奇跡的に救出されたことは知られていない。命がけの消火、救出の中心となったのは、東京消防庁の精鋭部隊、「特別 救助隊」の男たちだった。ホテルは欠陥建築で、火のまわりが異常に速かった。男たちの救出作戦も困難を極めた。隊長、高野甲子雄はある決断を迫られる。番組は、消防の世界で今も語り継がれる、伝説の消防士たちの救出劇を克明に描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 46 霞が関ビル 超高層への果てなき闘い〜地震列島 日本の革命技術 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 46 霞が関ビル 超高層への果てなき闘い〜地震列島 日本の革命技術
プロジェクトX 46 霞が関ビル 超高層への果てなき闘い〜地震列島 日本の革命技術

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

 地上36階、高さ147メートル。昭和43年に完成した「霞が関ビル」は、日本初の超高層ビルである。
それまでは、関東大震災後に作られた建築基準法により、ビルの高さは31メートルに制限されていた。地震と台風の国・日本では、高いビルの建設は不可能とされていた。 建設のリーダーは、鹿島建設の二階盛(50)。自ら関東大震災を経験し、多くの友人を亡くした二階は、日本初の難工事に果 敢に挑んだ。二階は、「初めての試みには、新たな発想が必要」と、35歳以下の技術者しか加えなかった。後に“二階学校”と呼ばれる150名のプロジェクトの誕生だった。地震に強い柔構造ビルのヒントは、関東大震災でもビクともしなかった寛永寺の五重塔にあった。一本の柱で支えられている五重塔は揺れに強い。147メートルに達する柱をいかにまっすぐに立てるか。これが霞が関ビル建設の鍵だった。しかし、肝心の鉄骨は、建設中に、すぐに微妙に曲がってしまった。計り直して修正しても、翌日にはまた曲がった。一体なぜなのか?その原因が全く分からず、担当の角田勝馬(19)は、焦りを募らす。早く解決しなければ、台風シーズンを迎え、工期に間に合わなない。二階と若手技術者は、この危機をどう乗り越え、完成に導いていったのか・・・・。二階学校での技術者の奮闘を軸に、日本初の摩天楼が完成するまでの1000日の熱いドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 45 日本初のマイカー てんとう虫 町をゆく〜家族たちの自動車革命 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 45 日本初のマイカー てんとう虫 町をゆく〜家族たちの自動車革命
プロジェクトX 45 日本初のマイカー てんとう虫 町をゆく〜家族たちの自動車革命

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

 日本人の自動車に対する意識を根底から覆した革命的な車がある。スバル360。
昭和30年代、一軒家と同じほど高価だった「自動車」をサラリーマンでも買えるほど安価にし、「マイカー」という言葉を誕生させた画期的な車である。わずか360ccながら4人乗り。高級外車にも負けない驚異的な走りとサスペンションを誇り、その風貌から「てんとう虫」と呼ばれた。
スバル360を生み出したのは、戦後、細々とバスを作っていた富士重工業の技術者たち。戦時中は、戦闘機を手掛けるほどの腕を持ちながら、戦後、くすぶっていた男達である。 安くても高性能の車を作るために要求されたのは、極限の軽量 化と、軽くて柔らかいサスペンションの開発である。次々と立ちはだかる壁を前に、技術者たちを奮い立たせたのは、家族への想いだった。
自動車を金持ちの道具から、自分達の家族でも乗れる「庶民の足」にしたい。技術者たちの執念が、不可能といわれた4人乗り軽自動車を世に送り出す。 革新的な車作りに打ち込んだ男達と家族の物語を描いていく。
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2005年08月01日

プロジェクトX 44 史上最大の集金作戦 広島カープ〜市民とナインの熱い日々 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 44 史上最大の集金作戦 広島カープ〜市民とナインの熱い日々
プロジェクトX 44 史上最大の集金作戦 広島カープ〜市民とナインの熱い日々

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

 広島カープ。県や市が出資する日本で唯一の“市民球団”として、昭和25年に誕生した。原爆で深い傷を受けた広島にとっては、復興への大きな希望の星だった。初代監督を引き受けたのは、石本秀一(52)。広島商業を3度の全国制覇に導き、その後タイガースの監督も務めた、野球の鬼だった。両親と兄弟を原爆で失った石本は、故郷復興へに役立ちたいと、広島に駆けつけた。しかし大企業の後ろ盾がない球団は深刻な資金不足だった。有名選手を集められなかった。石本は、高卒の新人や、喫茶店のマスターをしていた元プロ野球選手までかき集めた。合宿所の窓は閉まらず、雨が吹き込んだ。遠征の時は3等列車の床で寝た。シーズンが終了してみれば圧倒的な最下位 だった。そして、結成翌年の3月、資金難から、カープの解散が発表された。石本と選手たちは唖然とした。その時、立ち上がったのが広島の市民たちだった。路面電車の運転手、坂田政利(23)は私設応援団を結成。球場の前で一人一人に募金を呼びかけた。「復興への希望の灯を消すな!」。それを合い言葉に、全市民を巻き込んだ募金作戦が展開されていく。それは想像を超えた壮絶なものとなっていった・・・・。“市民球団”広島カープが、存続の危機を乗り越えていく感動のドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 43 耳を澄ませ赤ちゃんの声〜伝説のパルモア病院誕生 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 43 耳を澄ませ赤ちゃんの声〜伝説のパルモア病院誕生
プロジェクトX 43 耳を澄ませ赤ちゃんの声〜伝説のパルモア病院誕生

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  世界で最も安全に出産できる国、すなわち世界一新生児死亡率が低い国・日本。
 しかし、それは「周産期医療」という新しい医療分野の開拓がもたらした成果であるということは忘れられがちである。
 それまで、女性にとってお産は命がけであった。産婦人科は出産にあたっては母体の安全を重視した。一方、一見小児科のカテゴリーに入るように見える「新生児医療」だが、実は対象外となっていた。
 そのようななか、「赤ちゃんを救いたい」と立ち上がったのが、小児科医・三宅廉であった。理想に向けての第一歩は診療所の開設だった。開設にあたっての資金、土地、看護婦……多くの有志が集った。しかし、三宅の理想を最終的に実現するには産婦人科医の協力が是非とも必要であった。
 長い道のりを経て、ついに産婦人科医の同志・椿四方介と出会う。こうして「パルモア診療所」は「パルモア病院」となる。しかし新生児医療という未知の医療は困難の連続だった……。
 三宅たち「パルモア病院」のスタッフの経験が、「周産期医療」に結実していくまでの苦闘のドラマ。
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2005年08月01日

プロジェクトX 42 液晶執念の対決〜瀬戸際のリーダー・大勝負 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 42 液晶執念の対決〜瀬戸際のリーダー・大勝負
プロジェクトX 42 液晶執念の対決〜瀬戸際のリーダー・大勝負

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  携帯電話、ノートパソコン、デジタル時計の掲示板……、いまや、われわれの生活は「液晶」に囲まれているといって過言ではない。消費電力を従来の100分の1にするという液晶ディスプレイは、エレクトロニクスの世界に一大革命を起こした。
 この「液晶」の実用化に世界ではじめて成功したのは、シャープ株式会社。しかしその技術者たちは、順風満帆のサラリーマン生活を送ってきたわけではなかった。
 リーダーは技術者失格の烙印を押され、開発の最前線から外されていた男・和田富夫。和田たちは、気の遠くなるような実験を繰り返したが、思うような成果が出ない……。プロジェクトは解散の手前まで追い詰められる。
 そのころシャープの独壇場だった卓上計算機も、カシオをはじめとする他社にシェアを奪われつつあった。
 瀬戸際のプロジェクトの大勝負、それは計算機のディスプレイに液晶を採用させることだった……。
 夢の表示装置・液晶の実用化にこぎつけた、技術者たちの逆転のドラマ。
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2005年08月01日

プロジェクトX 41 大地の子日本へ〜中国残留孤児・35年目の再会劇 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 41 大地の子日本へ〜中国残留孤児・35年目の再会劇
プロジェクトX 41 大地の子日本へ〜中国残留孤児・35年目の再会劇

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  終戦直前の昭和20年5月、長野県阿智村から「最後の」満蒙開拓団が旧・満州(現・中国東北部)に「希望を抱いて」赴いた。しかし、これからという時に敗戦。ソ連の追撃からの逃避行が始まる。命からがらの逃避行、幼児を抱えては逃げられない……。進退窮まった親たちが選択したのは子どもを中国の地に残していくことだった。
 開拓団の一人で、シベリア抑留から生還した山本慈昭──妻子を含め多くの人が逃避行のなかで亡くなったと報告されており、その事実を知らなかった。終戦から20年以上を経て、事実を知り、残留孤児と肉親との再会を果たそうと、ひとり敢然と立ち上がる。しかし文化大革命最中という中国の政情、日本の役所の対応……さまざまな壁が山本の前に立ちはだかった。
 そんななか、志を同じくする人たちが集まり、やがて中国との国交も正常化される。山本の思いは少しずつだが前進する。そして厚生省(当時)が動いた。中国側も協力体制をとりだした……。大小さまざまな障害を一歩一歩乗り越え、昭和56年ついに「第一回訪日調査」が実現する。
 中国残留孤児と肉親の再開劇──その実現にこぎつけるまでの執念のドラマ。
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2005年08月01日

プロジェクトX 40 戦場にかけろ日本橋〜カンボジア・技術者と兵士の闘い NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 40 戦場にかけろ日本橋〜カンボジア・技術者と兵士の闘い
プロジェクトX 40 戦場にかけろ日本橋〜カンボジア・技術者と兵士の闘い

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  泥沼の内戦で国中が戦場となったカンボジア。かつて日本とカンボジアの技術者が協力してつくった橋も、橋げたが落ち、橋脚は大河に無残な姿をさらしていた。橋の名は「チュルイ・チョンバー橋」、通称を「日本橋」といった…。
 湾岸戦争時の国際貢献の拙さで世界的な非難を浴びた日本にとって、カンボジアの復興支援は汚名返上のチャンスだった。その最初のプロジェクトが「日本橋」の復興だった。日本の技術者たちは勇躍現地に乗り込んだ。
 しかし、そこは、いまだポル・ポト派の攻撃が散発し、なにより技術者が根絶やしにされた国だった。技術者代わりとして雇われたのは「工兵」。
 日本人技術者と「工兵」──最初は反目しあう両者がカンボジア人通訳の仲立ちで信頼を築き、新しい橋脚が完成する。そしてさまざまな障害を乗り越えて、日本から橋げたが到着する。
 命を懸けた技術者たちの情熱と、国境を越えた友情のドキュメント。
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2005年08月01日

プロジェクトX 39 えりも岬に春を呼べ〜砂漠を森に・北の家族の半世紀 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 39 えりも岬に春を呼べ〜砂漠を森に・北の家族の半世紀
プロジェクトX 39 えりも岬に春を呼べ〜砂漠を森に・北の家族の半世紀

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  えりもは、かつて深い森に包まれていた。しかし明治の初め、この地に住み着いた人々が暖房用に森の木々を切り尽くし、いつしか砂漠と化していた。砂漠の砂は海に流れ出し、濁った海にサケやマグロなどの回遊魚が岬に近づかなくなり、漁獲量が激減していた。加えて岩場に沈殿した赤土のため、昆布の水揚げ量は減り、品質も低下した。人々の生活は、困窮を窮めた。
 昭和28年、この砂漠を森に変え、かけがえのない故郷を蘇らせようと立ち上がった人々がいた。えりもの若い漁師たちである。浦河営林署の指導のもと、200ヘクタールに及ぶ砂漠の緑化という世界でも例のない壮大なプロジェクトが始まった。
 まず砂漠を草地化し、その後に苗木を植えて森林化する工程で進めることになった。しかし、蒔いた牧草の種は強風で吹き飛ばされて根付かず、試行錯誤が続いた。ようやく牧草を植え終えたのが、21年目。そこから、さらに一本一本苗木を植えた。すべて手作業だった。
 そして、平成4年6月、ついに砂漠のほとんどがクロマツの若い森になった。
 漁師の老齢化、若者たちの反発、様々な困難に立ち向かい、漁師たちとその家族は、少しずつ少しずつ砂漠を森に変えていった。やがて森で育まれた栄養分豊かな水が海に流れ、海も豊かさを取り戻した。
 これは、半世紀にわたる、漁師家族の物語を中心にした、壮大な自然の再生のドラマである。
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2005年08月01日

プロジェクトX 38 倒産からの大逆転劇電気釜〜町工場一家の総力戦 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 38 倒産からの大逆転劇電気釜〜町工場一家の総力戦
プロジェクトX 38 倒産からの大逆転劇電気釜〜町工場一家の総力戦

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  昭和30年、誰もが手軽においしいご飯が炊ける電化製品が開発された。電気釜である。この電気釜の登場で、世の主婦たちの家事負担を大きく軽減し、家電製品による「台所革命」というにふさわしかった。
 技術的にも困難とされ、家電メーカー各社が開発に躊躇するなかで、電気釜の開発と製品化を成功させたのは、戦後に家電の普及に情熱を注いだ一人の営業マン、山田正吾と、一代で築き上げた自らの会社の危機を救うために、昼夜を分かたず研究に没頭した小さな町工場の社長・三並義忠だった。そしてその陰には、夫を支える献身的な妻と6人の子どもたちの温かい協力があった。
 「お米炊き」の自動化は、予想を超えて難しかった。三並夫婦は、試作機をつくっては実験を繰り返した。そして、実験に使う大量の米を買うために、工場や自宅を抵当にして銀行から資金を借りた。たび重なる実験で妻が倒れた。そのとき、6人の子どもたちが立ち上がった。そして、ついに電気釜は完成した。
 これは、「主婦に睡眠時間を」を合言葉に、電気釜を開発し、「台所革命」を起こした人々のドラマである。
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2005年08月01日

プロジェクトX 37 『宗谷』発進・第一次南極観測隊〜日本人が一つになった八八〇日 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 37 『宗谷』発進・第一次南極観測隊〜日本人が一つになった八八〇日
プロジェクトX 37 『宗谷』発進・第一次南極観測隊〜日本人が一つになった八八〇日

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  戦後ただ一度だけ、日本中の企業、学者、そして国民がその力を結集させた壮大なプロジェクトがある。昭和31年に始まった第一次南極観測である。
 昭和30年、東京大学理学部教授・永田武のもとに一通の国際郵便が届いた。「国際学術連合会議」からの南極共同観測への参加要請だった。
 そして、日本に与えられた観測場所は、プリンスハラルド海岸。アメリカ海軍の報告書によると、「インアクセサブル(接近不可能)」とあり、南極屈指の難所だった。
 いつしか南極観測は、日本の夢となった。全国の子どもたちが5円玉や10円玉を握りしめ、募金に駆けつけた。1000を超える企業が、南極用の住居や発電機、無線、食料などを寄付し、成功を祈った。
 そして、輸送船に選ばれた老朽船『宗谷』の大改造。元海軍の設計技術者と横浜のドックの職人たちによって、わずか9か月という前代未聞の突貫工事で、『宗谷』は砕氷船に生まれ変わった。
 そして、『宗谷』は第一次南極観測隊員53人を乗せて、晴海埠頭を出港した。南極までの2万キロは、近づけば近づくほど過酷なものとなった。
 昭和32年1月、『宗谷』は数々のアクシデントを乗り越え、奇跡的に南極大陸に到着した。たどり着いたのは、南極でも最悪の場所だった。風速50メートルを超えるブリザード、雪上車やソリを水没させる氷原、基地建設もままならなかった。
 当初は、基地建設を終えれば、一旦帰国して、翌年改めて観測を始める予定だった。しかし、副隊長の西堀栄三郎の発案で、建設後引き続き越冬し、観測を始めることになった。越冬隊員に選ばれたのは、体力には自信のある11人の男たちだった。しかし、観測するだけの知識も技術もなかった。
 隊員たちは、死と隣り合わせの暮らしのなかで、西堀の指導のもと、見よう見まねで様々な観測に挑戦し、その成果を上げた。
 これは、「復興日本」を世界に示し、敗戦で失われた誇りを取り戻すために日本人が闘った、熱き880日間のドラマである。
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2005年08月01日

プロジェクトX 36 男たち不屈のドラマ瀬戸大橋/世紀の難工事に挑む NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 36 男たち不屈のドラマ瀬戸大橋/世紀の難工事に挑む
プロジェクトX 36 男たち不屈のドラマ瀬戸大橋/世紀の難工事に挑む

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  昭和63年4月、瀬戸内海の大小5つの島を6つの橋で結ぶ、全長9・4キロの瀬戸大橋が完成した。瀬戸大橋は、鉄道と道路が通る橋としては世界で最長を誇っている。
 この未曾有の巨大橋建設のきっかけとなったのは、昭和30年に起きた大惨事だった。国鉄の連絡船『紫雲丸』が瀬戸内海に沈み、修学旅行の小中学生100人の命が消えた。「橋さえあれば……」、多くの人々が悲しみに打ちひしがれ、四国と本州を結ぶ「夢の架け橋」は、四国400万人の悲願となった。
 この瀬戸大橋建設に挑んだのが、「不可能を可能にする男」と呼ばれた、伝説の技術者・杉田秀夫だった。風速70メートルに匹敵する潮の流れ、暗黒の海底。しかも、瀬戸内海は国際航路で、1日に一〇〇〇隻の船が行き交っていた。工事は、世紀の難工事となった。
 そして、1人の男が協力を申し出た。瀬戸内海のことなら何でも知り尽くしている男、ダイバーの飯島靖郎だった。彼は、あの大惨事「紫雲丸沈没事故」で遺体の引き揚げ作業に携わっていた。
 相次ぐ実験の失敗、石油ショックによる着工凍結。様々な困難を乗り越え、技術者たちは、瀬戸大橋の建設工事を成し遂げていく。
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2005年08月01日

プロジェクトX 35 女子ソフト銀知られざる日々/不屈の闘い・リストラからの再起 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 35 女子ソフト銀知られざる日々/不屈の闘い・リストラからの再起
プロジェクトX 35 女子ソフト銀知られざる日々/不屈の闘い・リストラからの再起

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  2000(平成12)年のシドニーオリンピックで、日本は18個のメダルを獲得した。なかでもひときわ注目を浴びたのは、女子ソフトボールの銀メダルである。
 初の正式種目となった前回のアトランタオリンピックでメダルを獲得できなかった日本は、シドニーで必勝を期していた。
 打者の前で、20センチも浮き、あるいは沈む魔球を投げるピッチャー。どんなゴロも鮮やかにさばき、プロの野球選手も息を飲んだ世界一のショート。中国から来日し、憧れの監督のもとで技を磨きつづけてきた強打者がいる。そして、1分間に40本もの速射砲ノックを打てる監督がいた。
 彼女たち全日本女子ソフトボールチームがシドニーで挑んだのは、112連勝を誇る無敵の軍団アメリカ。世界最強のチームを相手に、女たちは死闘を繰り広げた。
 しかし、その過去には屈辱と苦難の日々があった。花形バレーボール部の陰で味わったマイナースポーツゆえの屈辱、女性初の代表監督としての失敗、憧れのオリンピックでの惨敗など、様々な挫折と苦難を乗り越えてきた。
 そこには、マイナースポーツからの脱却をめざしてソフトボールに人生を捧げてきた監督・宇津木妙子の執念があった。
 これは、不敗のアメリカに挑んだ「新しき東洋の魔女たち」の知られざる挑戦の物語である。
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2005年08月01日

プロジェクトX 34 飛翔ゴジラ誕生〜特撮に賭けた80人の若者たち NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 34 飛翔ゴジラ誕生〜特撮に賭けた80人の若者たち
プロジェクトX 34 飛翔ゴジラ誕生〜特撮に賭けた80人の若者たち

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  昭和29年11月に公開された映画『ゴジラ』。当時としては画期的な特殊撮影技術を駆使して製作されたこの映画は、国内はもとより海外でも高い評価を受け、その後の特撮影画に大きな影響を与えた。
 この映画を世に出したのは、いまも“日本特撮界の父”として語り継がれる円谷英二と、彼のもとに集まった80人の若者たちだった。
 円谷を師と仰ぐ駆け出しの助手たち。何の手本もないなかでゴジラの着ぐるみをつくり上げた元菊人形職人。重さ100キロもあった着ぐるみと格闘し、見事にゴジラを演じきった無名の俳優。そして、映画のイロハも知らない学生や主婦のアルバイトたち。彼らは、マスコミから「ゲテモノ映画」との汚名を着せられながらも、自分たちの持つ技術と情熱をあらん限り投入した。すべては、誰も見たことのない新しい映画をつくりたい。この思いが、ゴジラに命を吹き込んだ。
 この物語は、新しい映画の開拓に夢を託し、映画史に特撮映画という新しいジャンルを確立した名作『ゴジラ』をつくり出した人々のドラマである。
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2005年08月01日

プロジェクトX 33 奇跡の心臓手術に挑む〜天才外科医の秘めた決意 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 33 奇跡の心臓手術に挑む〜天才外科医の秘めた決意
プロジェクトX 33 奇跡の心臓手術に挑む〜天才外科医の秘めた決意

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  平成8年12月、神奈川県鎌倉市にある湘南鎌倉総合病院で、日本初の革命的な手術が始まった。手術を受けたのは、「拡張型心筋症」と診断され、あと半年の命と告げられた重い心臓病患者たちだった。手術の名前は、心臓の一部を大胆に切り落とし、力強い鼓動を蘇らせる「バチスタ手術」だった。
 平成8年12月、神奈川県鎌倉市にある湘南鎌倉総合病院で、日本初の革命的な手術が始まった。手術を受けたのは、「拡張型心筋症」と診断され、あと半年の命と告げられた重い心臓病患者たちだった。手術の名前は、心臓の一部を大胆に切り落とし、力強い鼓動を蘇らせる「バチスタ手術」だった。
 メスを握ったのは、神の手を持つと呼ばれた天才外科医・須磨久善。彼は日本有数の外科医といわれながらも、理想の医療を求めて、都内の大病院を去り、地方病院に移ってきた医師だった。手術に挑んだ患者は、40代、50代。働き盛りの銀行マン、夫婦2人で頑張る寿司屋の女将。みな、大事な人を抱え、生きたいと願っていた。
 最初の手術を受けたのは、53歳の銀行マン。しかし、病気の進行が早く、失敗に終わった。「時期尚早だ」「売名行為で患者を死なせた」「地方病院では無理」など、医学界から容赦のない非難が須磨に浴びせられた。須磨は、助けられなかった無念から憔悴しきっていた。そんな折、亡くなった銀行員の妻から一通の手紙が来た。「この手術を続けてほしい」。
 1か月後、2人目の手術希望者が現れた。医学界が揺れるなか、須磨は患者の命と日本で行われるバチスタ手術の命、この2つの命を懸けて手術に踏み切った。手術は、見事に成功し、多くの「拡張型心筋症」患者に一筋の光明、生きる希望を与えることになった。
 これは、新しい手術に挑戦しつづける医師たちと、自らの生命を医師たちに預け、生きることの喜びを取り戻した患者たちの姿を通して、命の尊さを描く壮絶なドラマである。
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2005年08月01日

プロジェクトX 32 エベレストへ熱き一四〇〇日〜日本女子登山隊の闘い NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 32 エベレストへ熱き一四〇〇日〜日本女子登山隊の闘い
プロジェクトX 32 エベレストへ熱き一四〇〇日〜日本女子登山隊の闘い

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  標高8848メートル、ヒマラヤ山脈に連なる世界最高峰の山・エベレスト。神々が宿る場所といわれるこの山に、昭和50年5月16日、女性だけの登山隊が登頂に成功した。世界初の快挙を成し遂げたのは、主婦やOL、教師など15人の日本人女性チームだった。
 女性登山隊のエベレスト登頂の夢は、植村直己がエベレスト登頂に成功した昭和45年に始まった。しかし、女性だけの海外遠征に対する世間の目は厳しく、組織づくりから資金集めまで、様々な難題をクリアしなければならなかった。
 いざ、現地に乗り込んだ登山隊の前には、すさまじい自然の驚異が立ちはだかった。氷点下30度、吹きつける強風、突然襲いかかった雪崩、女たちは命懸けで山頂をめざした。
 家庭や仕事を抱え、母として、女性として様々な問題に直面しながら、限界に挑み、夢をかなえた女たちの1400日に及ぶ、挑戦と友情のドラマである。
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2005年08月01日

プロジェクトX 31 女たちの10年戦争〜「男女雇用機会均等法」誕生 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 31 女たちの10年戦争〜「男女雇用機会均等法」誕生
プロジェクトX 31 女たちの10年戦争〜「男女雇用機会均等法」誕生

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  近年、様々な職場で女性の進出がめざましいが、かつて職場は男社会、女性たちは信じられないほど低く扱われていた。仕事といえば、お茶汲みと書類運び。給料は上がらず、昇進もなく、結婚イコール退職、そんなことが慣行化され、制度化されていた。
 昭和60年、このような状況に突破口を開く法律が成立した。「男女雇用機会均等法」である。就職、昇進、定年など、職場における男女の平等をうたった日本初の法律だった。
 この画期的な法律ができるまでには、様々な難題が立ちはだかった。経営者団体と労働団体の意見が真っ向から対立した。そして、リーダーの赤松良子を中心としたプロジェクトメンバーは、のちに「鬼の根回し」と異名をとる懸命の調整を続けた。
 そして、最後に「法律」という形につくり上げたのは、自らも家庭を持ち、子供を抱えながら働く労働省婦人少年局の女性官僚たちの執念だった。立ちはだかる男社会の壁、女性を中心とする労働側からの「生ぬるい」という批判。それらの苦闘を乗り越え、「男女雇用機会均等法」は成った。
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2005年08月01日

プロジェクトX 30 町工場世界へ翔ぶ〜トランジスタラジオ・営業マンの闘い NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 30 町工場世界へ翔ぶ〜トランジスタラジオ・営業マンの闘い
プロジェクトX 30 町工場世界へ翔ぶ〜トランジスタラジオ・営業マンの闘い

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  いまや世界の人々の生活に欠かせないものとなった日本のエレクトロニクス製品。しかし、40年前のアメリカでは、「メイド イン ジャパン」といえば「安かろう、悪かろう」「粗悪品」の代名詞だった。
 しかしそのさなか、「メイド イン ジャパン」に対するマイナスイメージを革命的に変える製品が登場した。それが、ソニーが昭和30年に開発したトランジスタラジオだった。
 ソニーの営業マンたちは、体一つで海を渡り、欧米各国で営業活動を始めるが、そこには想像を絶する「偏見」との闘いが待っていた。ドイツでは、1年間で1台のラジオも売れなかった。アメリカでは、故障による返品の山で事務所が埋まった。
 営業マンの多くは、「敗戦」を背負っていた。「輸出で外貨を稼ぎ、日本を再建したい」、そんな思いが苦境を乗り越えるバネとなった。
 ソニーのトランジスタラジオが世界中で爆発的に売れた陰には、「サムライ」と呼ばれたソニーの営業マンたちの、身を削るような壮絶な闘いがあった。
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2005年08月01日

プロジェクトX 29 伝説の深き森を守れ〜世界遺産・屋久杉の島 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 29 伝説の深き森を守れ〜世界遺産・屋久杉の島
プロジェクトX 29 伝説の深き森を守れ〜世界遺産・屋久杉の島

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  縄文杉に代表される樹齢数千年の屋久杉が並び立つ屋久島。屋久島は、1993年、日本で初めて世界自然遺産に登録された、自然の宝庫である。
 しかし、昭和30〜40年代にかけて、屋久島の豊かな森が壊滅の危機に直面していた。日本は高度経済成長に沸き、屋久杉を大量に伐採してきたためである。
 急激に破壊される故郷の森を見て、子どもたちに森を残そうと立ち上がった男たちがいた。屋久島出身の若者2人、兵頭昌明と柴鐵生は、東京での生活を捨て、故郷に戻った。
 伐採中止を訴えつづけた2人の前に立ちはだかったのは、林業に頼って生きている島の暮らしの現状だった。「屋久島を守る会」と「屋久島住民の生活を守る会」の対立。自然保護か、住民の生活を守るのか。
 2人は悪戦苦闘を繰り返し、島の住民たちと向き合った。その情熱は、最後には国まで突き動かすことになるが、そこには、故郷を愛し、自然を愛した男たちの、壮絶なドラマがあった。
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2005年08月01日

プロジェクトX 28 よみがえれ日本海〜ナホトカ号重油流出・三〇万人の奇跡 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 28 よみがえれ日本海〜ナホトカ号重油流出・三〇万人の奇跡
プロジェクトX 28 よみがえれ日本海〜ナホトカ号重油流出・三〇万人の奇跡

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  平成9年1月、ロシアのタンカー「ナホトカ号」が日本海海上で沈没した。流れ出た重油はドラム缶3万本分、被害は日本海側9府県にまで及んだ。このままでは海は死んでしまう。船首が漂着し、座礁した福井県・三国町には、衝撃的なニュースを見て次々とボランティアが集まった。
 美しかった海の姿は一変した。浜は重油で一面真っ黒、油の匂いで目は痛み、刺激臭は頭痛を引き起こした。そんななか、膨大な重油をひしゃくとバケツでくみ取る作業が始まった。だが、押し寄せるボランティアの統制はとれず、混乱を極めた。せっかくの善意を水の泡にしてはいけない。地元で建設会社を営む長谷川は「重油災害ボランティアセンター」を立ち上げた。作業の割り振り、宿泊施設の確保、炊き出しから、地元民との確執の解決まで、ボランティアをまとめるために奔走したのだ。
 人々の善意はわずか3か月で浜をよみがえらせ、この奇跡は世界中で報道された。30万人の人海戦術という前代未聞のプロジェクト。その裏側で繰り広げられた人間模様を描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 27 ツッパリ生徒と泣き虫先生〜伏見工業ラグビー部・日本一への挑戦 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 27 ツッパリ生徒と泣き虫先生〜伏見工業ラグビー部・日本一への挑戦
プロジェクトX 27 ツッパリ生徒と泣き虫先生〜伏見工業ラグビー部・日本一への挑戦

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  伏見工業ラグビー部は、全国大会出場13回、そのうち全国制覇が3回という名門である。そのチームを育てた熱血教師・山口良治は、20年前、猛反発するツッパリたちに真正面からぶつかり、体当たりの指導で強いチームをつくりあげた。
 昭和49年、山口は京都一荒れているという評判の伏見工業高校に赴任した。飲酒、喫煙、生徒が教師に暴力をふるうのも日常茶飯事。校内は想像以上に荒れていた。生徒が自分の学校に誇りを持てるようにしなければならない。ラグビーの日本代表選手だった山口は、ラグビー部が京都一になることで、生徒に誇りを持たせ、非行をなくそうと考えた。
 ところがラグビー部は不良の温床だった。山口は生徒たちに何度裏切られてもあきらめなかった。翌年5月、山口が監督に就任して初の公式戦、初戦の相手は強豪・花園高校だった。
 結果は120対0の大敗。この日を境にして、部員は少しずつ変わっていく。チームは一丸となって「打倒・花園」をめざし猛練習を始めた…。
 「泣き虫先生」と呼ばれた教師とツッパリ生徒たちの壮絶な闘いと心の交流を描く物語。
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2005年08月01日

プロジェクトX 26 ロータリー47士の闘い〜夢のエンジン誕生からルマン制覇まで NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 26 ロータリー47士の闘い〜夢のエンジン誕生からルマン制覇まで
プロジェクトX 26 ロータリー47士の闘い〜夢のエンジン誕生からルマン制覇まで

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  昭和20年8月6日、広島に原爆が落とされた。その被害を奇跡的に免れ、復興の拠点となったのは、三輪自動車のメーカー東洋工業(現・マツダ)だ。昭和35年には軽乗用車を発表し、四輪市場の一角に食い込んだものの、社長の松田は独り悩んでいた。原因は通産省による業界再編だ。他社にはない独自性を発揮できなければ、会社の存亡は危うい。
 松田はロータリーエンジンに賭けた。小型・軽量で高出力・静粛性にも優れているが、実用化が難しい夢のエンジンであった。昭和38年、リーダー山本率いる47人のメンバーで開発は始まった。「ロータリー47士」は、欠陥だらけのエンジンから技術的課題を一つ一つ解決していった。それは、故郷の復興をかける男たちの執念がなせる業でもあった。昭和42年、開発は成功を収め、ロータリーエンジン搭載車が発表された。
 ところが昭和48年、オイルショックが起こると状況は一変。燃費の悪さから、ロータリーエンジンは非難の的となった。汚名返上のため、男たちは世界一苛酷な「ルマン24時間耐久レース」を目指すが…。ロータリーエンジンに惚れこんだ男たちの情熱を描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 25 日米逆転!コンビニを作った素人たち NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 25 日米逆転!コンビニを作った素人たち
プロジェクトX 25 日米逆転!コンビニを作った素人たち

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  いまや街のいたるところで見られるコンビニ。日本初のコンビニがオープンしたのは昭和49年のことだ。その約2年前、流通業界の中堅に甘んじていたイトーヨーカ堂の正に窓際の社員が、アメリカで「セブンイレブン」に出合った。豊富な日常雑貨を扱う小さな店。営業時間は長く、値引きは一切していないのに店内は繁盛していた。
 すぐさまコンビニの日本展開を考え、サウスランド社と契約を結ぶが、その内容は屈辱的なものだった。しかも期待していたマニュアルには、日本では通用しないノウハウばかり。新事業への賛同者も少なく、プロジェクトは元商社マンや自衛隊員など、ずぶの素人ばかり15人でスタートした。なんとか1号店をオープンさせたものの利益はあがらない。伝票から売れ筋商品を調べる作業は深夜まで続いた。手探りの状況のなか、メンバーは小分け配送、地域集中出店など、流通の常識を覆す独自の小売戦略を次々とつくり上げていく。
 15人の創意と工夫により、わずか3年で100店舗を達成。日本の流通機構に革命をもたらしたコンビニ、それをつくり上げた素人スタッフたちの果敢な挑戦と苦難の物語。
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2005年08月01日

プロジェクトX 24 うまいコメが食べたい〜コシヒカリブランド米の伝説 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 24 うまいコメが食べたい〜コシヒカリブランド米の伝説
プロジェクトX 24 うまいコメが食べたい〜コシヒカリブランド米の伝説

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  戦後、日本は深刻な食糧不足にあえいでいた。政府は、農家と全国の農業試験場にコメの増産を命じた。そんな折、新潟県農業試験場に農業技術者として名を轟かせた杉谷文之が赴任してきた。厳しい寒さと水はけの悪い土地。なかでも山あいの魚沼地方では農民自身が食べるコメを確保することすら困難であった。杉谷は、やせた土地でこそよく育つ、しかもおいしいコメの開発に乗り出した。
 全国の100種類を超す品種のなかから、杉谷が目を留めたのはのちにコシヒカリとなる「越南17号」。技術者と地元の農民が協力して、試験場だけでなく実際の田んぼでも栽培実験を行う異例のプロジェクトがスタートした。味はいいものの、手間ひまがかかり収穫量も少ないコシヒカリの評判はよくなかった。逆風にあっても、プロジェクトはやがて訪れるであろう「量ではない質の時代」を見据え、栽培法の実験を行いつづけた。
 「うまいコメこそが農家を救う」という信念から誕生したコシヒカリ。その陰には農業技術者と農民たちのおよそ半世紀にわたる栽培技術の研究があった。
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2005年08月01日

プロジェクトX 23 幻の金堂ゼロからの挑戦〜薬師寺・鬼の名工と若武者たち NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 23 幻の金堂ゼロからの挑戦〜薬師寺・鬼の名工と若武者たち
プロジェクトX 23 幻の金堂ゼロからの挑戦〜薬師寺・鬼の名工と若武者たち

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  昭和42年、薬師寺の管主(住職)に就任にした高田好胤は、金堂を建て替える「復興発願」の意を表明した。老朽化して破損がひどい金堂を創建時の姿によみがえらせることは、歴代住職の間でおよそ400年にもわたり受け継がれてきた願いであった。
 再建は古代の様式にのっとって行わなければならない。図面一枚すら残っていない「幻の金堂」は、設計の段階から困難をきわめた。そして昭和45年、棟梁に選ばれたのは最後の宮大工と呼ばれる西岡常一。西岡の仕事は30人の宮大工を集めることから始まった。とはいえ急速に減少している宮大工が集まるはずもない。結局、熱意はあるが宮大工未経験の若者たちが金堂づくりに挑むことになった。「木にさまざまな癖があるように人間にもさまざまな人がいる」。西岡は、一癖も二癖もある若者たちにチームワークの大切さを説き、一人一人にそれぞれの役割を与えた。
 5年の歳月を経て、金堂は鳳凰の羽ばたきを思わせるような二重裳階付の壮麗な姿に生まれ変わった。古代の技に挑む西岡の意地と執念、若者たちの熱意の結晶であった。そして今、西岡から技と心を伝えられた弟子が、大講堂の復元工事を進めている。
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2005年08月01日

プロジェクトX 22 悪から金を取り戻せ〜豊田商事事件・中坊公平チームの闘い NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 22 悪から金を取り戻せ〜豊田商事事件・中坊公平チームの闘い
プロジェクトX 22 悪から金を取り戻せ〜豊田商事事件・中坊公平チームの闘い

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  昭和60(1985)年に発覚した豊田商事事件。被害総額1200億円、被害者数3万人に上る史上最悪の詐欺事件と呼ばれた。被害者の多くがお年寄りだった。お年寄りたちが老後のために必死に貯めたなけなしの資金を、根こそぎ奪い取っていったのである。
 そこで、被害者救済のため、一人の男が立ち上がった。名前は「中坊公平」、「平成の鬼平」の異名を持つ弁護士である。中坊は、巨悪から奪われた金を取り返す史上例のない司法プロジェクトを結成する。
 プロジェクトは金を取り戻すため、まず豊田商事を破産させ、その財産を徹底的に売却することによって現金化するという大胆な方法に出た。また、豊田商事の陰で甘い汁を吸っていた「巨悪」がいたことに気づき、前代未聞の回収作戦を開始した。
 そして、豊田商事が納めた税金に目をつけた中坊は、単身国税庁に乗り込んだ。若手弁護士の説得で立ち上がった被害者の老人たち。老人たちは国税庁前で涙の訴えを行った。
 これは、様々な壁を乗り越え、前代未聞の方法で鮮やかに形勢を逆転し、史上例のない100億円もの金を取り戻すことに成功したプロジェクトの執念のドラマである。
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2005年08月01日

プロジェクトX 21 海底3000メートルの大捜索〜HUロケットエンジンを探し出せ NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 21 海底3000メートルの大捜索〜HUロケットエンジンを探し出せ
プロジェクトX 21 海底3000メートルの大捜索〜HUロケットエンジンを探し出せ

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  平成11(1999)年11月15日、国産H2ロケット8号機の打ち上げが行われた。しかし、この打ち上げは、メインエンジンの突然の停止、初めての指令破壊という、日本の宇宙開発史上、最悪の結末になった。
 なぜ、突然メインエンジンが止まったのか?
 宇宙開発プロジェクト存亡の危機を乗り越えるためには、原因究明が不可欠だった。しかし、困難を極めた。
 エンジン本体は、太平洋上のどこに墜落したのか?
 このエンジン回収の大捜索は、海洋科学技術センターで深海の学術調査を行っていた門馬大和研究員グループに託された。
 宇宙と海の共同プロジェクト。与えられた期間は2週間。しかし、最新の音波探査装置「かいれい」を使っても、見つかったのはエンジンの配管と外側の覆い部分のみ。そこで門馬は、20年前に自作した手作り探査装置「ディープ・トウ」を使って、2度目の調査に挑んだ。24時間体制で敢行された再調査。4日目、門馬たちは、ついにエンジン本体を発見した。
 これは、日本の宇宙開発の命運を託された「深海探査のプロ」たちの知られざる格闘のドラマである。
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2005年08月01日

プロジェクトX 20 東京タワー恋人たちの戦い〜世界一のテレビ塔建設・333メートルの難工事 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 20 東京タワー恋人たちの戦い〜世界一のテレビ塔建設・333メートルの難工事
プロジェクトX 20 東京タワー恋人たちの戦い〜世界一のテレビ塔建設・333メートルの難工事

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  昭和30年代初頭、日本はテレビ時代の幕が開けていた。ところが、テレビ局開局に伴い、関係者の間で頭の痛い問題があった。電波塔の乱立である。都市景観上から見苦しいうえ、航空法上からの危険性や視聴者の利便性など、様々な問題を含んでいた。
 そして、郵政省を中心とする電波関係者の間で、各放送局の電波塔を一本化する「総合電波塔」構想が生まれ、東京タワーの建設が実現した。地上333メートル。わずか15か月という驚異的な突貫工事の末に完成した世界で最も高い自立鉄塔・東京タワー。
 その完成の陰には、愛する恋人のために命を懸けた一途な若者たちの物語があった。現場監督の竹山正明は、京都の女性との遠距離恋愛。日々の仕事を克明につづった恋文を送りつづけた。鳶の若頭の桐生五郎は、一目惚れした見合い相手に「鉄塔完成の翌日、結婚しよう」と求婚した。
 昭和33年秋、鳶たちの出番の日が来た。突風吹きすさぶなか、地上333メートルへ巨大アンテナを命懸けで吊り上げた。1センチの誤差も許されなかった。これは、世界一の電波塔づくりに挑んだ技術者と職人の意地と心意気の物語である。
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2005年08月01日

プロジェクトX 19 誕生!人の目を持つ夢のカメラ〜オートフォーカス14年目の逆転 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 19 誕生!人の目を持つ夢のカメラ〜オートフォーカス14年目の逆転
プロジェクトX 19 誕生!人の目を持つ夢のカメラ〜オートフォーカス14年目の逆転

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  いまや使い捨てカメラから一眼レフカメラ、そしてディジタルカメラにいたるまで、日本人の生活に広く浸透している。しかし、昭和30年代までは必ずしも身近な道具ではなかった。汎用のカメラといっても高価なものであり、撮影技術も必要で、誰もが使いこなせるものではなかった。高度成長期、人々の暮らしに余裕ができ始め、レクリエーションに興ずるようになると、「一度しかないこの瞬間を写真に残したい」、そんな素朴な願いが人々に生まれた。
 そんな願いをかなえたのが、オートフォーカス(AF)カメラである。シャッターを押すだけで自動的にピントを合わせてくれるAFカメラは、かつて世界中の技術者から「夢のカメラ」といわれてきた。この「夢のカメラ」の商品化を、世界で初めて成功させたのは、小西六(現・コニカ)の若き技術者だった。
 昭和38年、AFカメラの開発は、一人の電気技術者・百瀬治彦の情熱から始まった。粘り強く研究を続ける百瀬、そしてその百瀬を陰で支えていたカメラ開発部リーダーの内田康男。二人を中心としたプロジェクトは、地道で気の遠くなるような技術を積み重ね、14年の歳月を経て、他社との激しい開発競争のなか、見事に世界初の栄光を手にした。
 これは、人々の「この瞬間を写真に残したい」という願いをかなえるため、闘いつづけた若き技術者たちの執念と、それを陰で支えつづけた家族のドラマである。
(確認機種:全機種
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2005年08月01日

プロジェクトX 18 宇宙ロマンすばる〜140億光年世界一の望遠鏡 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 18 宇宙ロマンすばる〜140億光年世界一の望遠鏡
プロジェクトX 18 宇宙ロマンすばる〜140億光年世界一の望遠鏡

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  太平洋の真ん中に浮かぶ、ハワイ諸島最大の島、ハワイ島。この島に、世界で最も美しい夜空が見える場所がある。標高4205メートル、マウナケア山山頂。1998年12月、ここに日本が誇る口径8・2メートルの大型反射望遠鏡「すばる」が完成した。
 構想から20年以上の歳月を費やし、総工費400億円で進められた、国を挙げての大プロジェクトである。
 しかしそこには、学者や技術者をはじめとした多くの関係者の、想像を超えた苦労が隠されていた。技術的に不可能といわれつづけていた8メートルの巨大望遠鏡建設。最高の精度を保つため、鏡自身のたわみをいかに補正するか、技術者たちの試行錯誤は続いた。
 「すばる」誕生の陰には、幼いころから星空を見上げ、宇宙に思いを馳せた「夢」であり、「ロマン」があった。これは、「宇宙の果てを見てみたい」と願った人々の挑戦のドラマ。
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2005年08月01日

プロジェクトX 17 国境を越えた救出劇〜大やけどコンスタンチン君・命のリレー NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 17 国境を越えた救出劇〜大やけどコンスタンチン君・命のリレー
プロジェクトX 17 国境を越えた救出劇〜大やけどコンスタンチン君・命のリレー

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  1990年8月20日、旧ソ連のサハリン州の州都ユジノサハリンスクに住む3歳の男の子・コンスタンチン君が、自宅で誤って100度近い熱湯が入ったバケツを倒し、全身の90%という大やけどを負った。コンスタンチン君の親は、当時商用でサハリンを訪れていた1人の日本人に相談した。医療技術が進んだ日本で手術を受けられないか。
 日本人は、北海道庁の国際交流課に電話をした。見知らぬ一般人からの唐突な電話に戸惑いながらも、道庁は迅速に対応した。そして、瀕死のやけどを負った少年を助けるため、前例のない超法規的措置が、外務省、法務省、海上保安庁の間で検討されていく。
 サハリンからの最初の電話からわずか17時間後、海上保安庁の輸送機がサハリンへ飛び立ち、無事コンスタンチン君を受け取った医師団はとんぼ返りで札幌に戻った。そして、札幌医科大学附属病院に運ばれたコンスタンチン君は、医師たちの必死の努力で一命をとりとめた。
 小さな命を救おうと、東西冷戦末期に日本とソ連との間で交された、「善意」のバトンタッチを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 16 翼はよみがえった〜YS−11日本初の国産旅客機 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 16 翼はよみがえった〜YS−11日本初の国産旅客機
プロジェクトX 16 翼はよみがえった〜YS−11日本初の国産旅客機

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  10年後の昭和32年、通産省は、日本人の手による純国産旅客機の開発をぶち上げ、「輸送機設計研究協会(輸研)を設立した。メンバーには、土井武夫、木村秀政、堀越二郎、菊原静男、大田稔という、国産戦闘機の名機の数々を設計してきたつわものたちと若手技術者が集まった。
プロジェクトメンバーは、完成模型(モックアップ)をつくり上げ、政府から予算獲得することに成功した。
 昭和34年、日本航空機製造株式会社が設立され、官民共同でYSー11の開発・生産に乗り出した。ここで、実質的に設計を主導したのは、東條英機の次男で、新三菱重工の技術部次長だった東條輝雄だった。東條を中心としたプロジェクトは、YSー11の試作機を完成させ、昭和37年、終戦から17年を経て、国産旅客機が初めて日本の空を飛んだ。
 ところが、試作機には飛行中の横安定性などの問題を抱えていた。これを克服したのは、東條のもとで設計に協力しつづけた土井武夫と、東條によって鍛えられた若手技術者たちだった。そして昭和39年、ついにYSー11は就航した。
 しかし、昭和48年度をもってYSー11の生産が打ち切られ、以降日本自前による旅客機は1機もつくられていない…。
 戦後、GHQによる航空活動の禁止を乗り越え、航空ニッポンの復活と威信を賭けた官民一体のプロジェクトの、成功と挫折の物語。
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2005年08月01日

プロジェクトX 15 海のかなたの甲子園〜熱血教師たち・沖縄涙の初勝利 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 15 海のかなたの甲子園〜熱血教師たち・沖縄涙の初勝利
プロジェクトX 15 海のかなたの甲子園〜熱血教師たち・沖縄涙の初勝利

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  本土が戦後の混乱から立ち直ろうとしていたころ、沖縄はアメリカの統治下にあり、本土から隔絶された「忘れられた島」になろうとしていた。沖縄戦から9年たっても、戦争に傷跡がいたるところに残っていた。
 昭和30年代初め、那覇市にある首里高校に社会科の教師として赴任してきた若い教師がいた。男の名は、福原朝悦。福原は、廃虚のなか、元気のない子どもたちを見て、野球で彼らに希望を与えることができないかと考えていた。
 沖縄は、いまでこそ全国でも屈指の野球王国だが、当時の野球レベルは本土のものとは雲泥の差があり、「海のかなたの甲子園」は手の届かない夢に過ぎなかった。
 昭和31年、当時の日本高野連副会長の佐伯達夫の呼びかけで、沖縄高野連が結成された。目標は甲子園出場、そして1勝だった。設備も用具も乏しいなか、福原たちの挑戦が始まった。
 昭和33年の第40回記念大会、福原は首里高校を率い、沖縄代表のチームとして初めて甲子園の土を踏む。そして、5年後の38年、沖縄代表の那覇高校が甲子園に出場し、日大山形高校を相手に 全国大会念願の初勝利を飾った。沖縄中が歓喜し、一大高校野球ブームが盛り上がった。
 戦争の傷跡を胸に高校野球に情熱を注ぎ、今日の沖縄の高校野球の礎を築いた男たちの軌跡を追う物語。
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2005年08月01日

プロジェクトX 14 厳冬黒四ダムに挑む〜断崖絶壁の輸送作戦 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 14 厳冬黒四ダムに挑む〜断崖絶壁の輸送作戦
プロジェクトX 14 厳冬黒四ダムに挑む〜断崖絶壁の輸送作戦

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  標高3000メートル級の山々が連なる北アルプス立山連峰。1963年、その断崖絶壁の奥地に日本最大のダム「黒四ダム」が生まれた。その建設は、のべ1000万人もの人々が参加する大工事となり、実現には、60万トンもの資材を運搬する、壮大な輸送作戦が必要だった。
 本体工事を受注したのは、間組。そして、この巨大プロジェクトの指揮に当たったのは、中村精(くわし)。「大まむし」の異名をとった筋金入りのダム屋だった。中村の号令のもとに、若者たちは秘境・黒部に立ち向かっていった。
 400人の強力で人力輸送を始める一方、標高約2700メートルの立山の尾根をブルドーザーで越えるという前代未聞の挑戦に乗り出した。さらに、トンネルをダムの建設地点から迎え掘りするため、零下20度の雪と氷の世界に5か月間越冬した。
 昭和30年代、経済復興のカギだった電力を生み出すため、険しい地形と過酷な冬に耐え抜き、全身全霊でダム建設に挑んだ男たちのドラマ。
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2005年08月01日

プロジェクトX 13 パンダが日本にやって来た〜カンカン重病・知られざる11日間 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 13 パンダが日本にやって来た〜カンカン重病・知られざる11日間
プロジェクトX 13 パンダが日本にやって来た〜カンカン重病・知られざる11日間

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
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  1971年9月、日中国交回復の調印が行われ、これを記念して中国政府から2頭のパンダ《カンカン》《ランラン》が贈られることが発表された。「幻の動物」といわれ、また「国賓」待遇の動物の受け入れ先は、東京・上野動物園に決定した。しかし、パンダを見たことのある者は、上野動物園でも飼育課長の中川志郎だけだった。ましてや、飼育方法を知る者はいなかった。
 急きょ、中川をリーダーとした「パンダ飼育プロジェクト」が結成された。パンダとは、どういう動物なのか? 未知の動物との悪戦苦闘が始まった。餌担当の栗田武治は、主食の竹を探し求めて関東一円を奔走した。飼育係の本間勝男は、檻のすぐそばにベッドを置き、24時間寄り添い、信頼関係を築くため、パンダに声をかけつづけた。獣医の田邉興記は、パンダの行動を観察しつづけた。
 来日10日目、オスのカンカンが風邪を引き、生命の危機にさらされる。野生の動物に抗生物質を飲ませるわけにはいかない。議論の末、プロジェクトはある賭けに出た。
 国賓待遇のパンダを死なせてしまうと、外交問題にまで発展しかねない。そんな重圧と闘いながら、懸命に世話を続ける飼育のプロたちの壮絶なドラマ。
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2005年08月01日

プロジェクトX 12 裕弥ちゃん1歳輝け命〜日本初・親から子への肝臓移植 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 12 裕弥ちゃん1歳輝け命〜日本初・親から子への肝臓移植
プロジェクトX 12 裕弥ちゃん1歳輝け命〜日本初・親から子への肝臓移植

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  1989年、島根医科大学の永末医師のもとに先天性胆道閉鎖症を患った1歳の男の子が運び込まれた。杉本裕弥ちゃん、わずか1歳。それまでに2度の手術を受け、もはや肝臓移植以外助かる道がなかった。「たとえ1%でも望みがあるなら、あきらめたくない」。父親は自らの肝臓を息子に提供したいと願い出た。
 永末医師を中心とする医療チームは苦渋の選択を迫られる。日本で初の生体肝移植、しかも症状は重すぎた。健康な人の肝臓を使うことへの疑問、移植そのものへの疑問、倫理上の批判が集中することは間違いなかった。しかし、前例のない手術の危険性を知りながらもわが子を救いたいという家族の気持ちは医師を動かした。
 懸命に生きようとする小さな命は15時間に及ぶ難手術を乗り越え、136日目には一般病棟に移るまで回復。そこでは母親を「ああちゃん」と呼ぶ裕弥ちゃんの姿が見られた。
 285日目で別れは訪れたが、裕弥ちゃんが前例となり、その後日本国内で行われた生体肝移植例は1000を超え、たくさんの命が救われている。日本発、世界でも3例目の生体肝移植に踏み切った医師と家族の愛と勇気の物語。
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2005年08月01日

プロジェクトX 11 美空ひばり復活コンサート〜伝説の東京ドーム・舞台裏の300人 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 11 美空ひばり復活コンサート〜伝説の東京ドーム・舞台裏の300人
プロジェクトX 11 美空ひばり復活コンサート〜伝説の東京ドーム・舞台裏の300人

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  昭和62年4月、歌手・美空ひばりは四国公演のステージを無事終えた。観衆を魅了するその姿からは思いもよらないことであったが、このとき既に重症の肝硬変と大腿骨骨頭壊死にかかっていた。無期限休業宣言をしたひばりは、ステージで歌いたい一心で治療に専念する。喉を痛めることを恐れ、蒸し返るように暑い夏の日も決して冷房をつけることはなかった。「歌うことこそ、私の宿命」、ひばりは静かに復活の準備が整うのを待った。
 復帰はもちろん再起も危ぶまれるなか、復活コンサートの準備は着々と進められた。選ばれた舞台は、翌春完成予定の東京ドーム。中心スタッフだけで300人という正に女王の復活にふさわしいものであった。しかし、武道館の13倍という常識破りの空間は、通常の倍以上の残響が残るなど課題山積だった。回復したとはいえ、歩くと痛みの伴うひばり自身を必要以上に動かすこともできない。スタッフは演出に工夫を施した。
 病に伏して1年後の昭和63年4月11日。《不死鳥》ひばりは東京ドームでよみがえった。5万人の観客が見守るなか、2時間にわたって39曲を完璧に歌い上げた。復活に賭けた女王ひばりの執念とそれを支えたスタッフそれぞれの思いを描く物語。
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2005年08月01日

プロジェクトX 10 全島1万人史上最大の脱出作戦〜三原山噴火・13時間のドラマ NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 10 全島1万人史上最大の脱出作戦〜三原山噴火・13時間のドラマ
プロジェクトX 10 全島1万人史上最大の脱出作戦〜三原山噴火・13時間のドラマ

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  昭和61年11月15日、伊豆大島の三原山が12年ぶりに噴火した。一度は沈静化したように思われた山は、6日後すさまじい噴煙をあげた。4つの噴火口は次々と噴火、溶岩流は麓の元町市街に流れはじめた。予想外の出来事だった。
「一人の犠牲者も出してはいけない」。島内4地区に暮らす1万人の島民と、噴火を見にやってきた観光客の島外への脱出作戦が始まった。町役場で動きだした急造のプロジェクトは、まず島内に残る観光客の数を把握し、船の確保に努めた。島民を輸送するバス・船会社、避難を誘導する消防団、防災活動を支える電力会社の男たち。彼らは、家族を案じながらも、迫りくる溶岩と落石の危険を顧みず、それぞれの職務を全うした。
 大噴火から13時間40分後の翌朝午前5時55分、最後の避難船が島を離れ、脱出作戦は終了。一人の犠牲者を出すことも、大きな混乱もなかったこの脱出は、正に「奇跡の脱出劇」であった。己を優先することなく、島民のために全力を尽くした男たちの13時間の危機迫るドラマ。
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2005年08月01日

プロジェクトX 9 海底ロマン!深海6500mへの挑戦〜潜水調査船・世界記録までの25年 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 9 海底ロマン!深海6500mへの挑戦〜潜水調査船・世界記録までの25年
プロジェクトX 9 海底ロマン!深海6500mへの挑戦〜潜水調査船・世界記録までの25年

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  潜水調査船「しんかい6500」は、平成元年8月の試験潜航で前人未踏の深度6527mに到達した。海底鉱物資源の調査、地震のメカニズム、深海に生息する生物の生態研究など、深海調査船の担う役割は大きい。昭和39年、その必要性を説き、深海調査船の開発をスタートさせたのは三菱重工業神戸造船所のわずか5人のプロジェクトであった。
 当時、既に欧米では潜水船に国家プロジェクト並みの予算がつき、日本の潜水船の能力は遠く及ばなかった。だが外国に頼ることなく、当初から世界一深い海底を夢見る技術者たちの熱い思いは、民間の一企業のプロジェクトを日本の技術力を終結した国家プロジェクトへと導いていった。
 水温およそ1度、光も届かず、地上の650倍もの気圧がかかる深海。わずかなミスが致命傷になる開発には、解決すべき問題が山積していた。未知の深海をめざす技術者のロマンがその一つひとつを丁寧にクリアしていった。数々の試行錯誤と失敗を繰り返し、成功に至ったとき、プロジェクトスタートから実に25年の歳月が流れていた。
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2005年08月01日

プロジェクトX 8 カール・ルイスの魔法の靴〜超軽量シューズ若手社員の闘い NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 8 カール・ルイスの魔法の靴〜超軽量シューズ若手社員の闘い
プロジェクトX 8 カール・ルイスの魔法の靴〜超軽量シューズ若手社員の闘い

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  陸上競技の100メートル走。アスリートが履くシューズは、100分の1秒を競う過酷なレースを大きく左右する。1991年、東京世界陸上で9秒86の驚異的なタイムを出したカール・ルイスの足を覆っていたのは日本のスポーツ用品メーカー・ミズノが手がけた「魔法の靴」だった。
 ミズノがルイスと契約を結んだのは、その4年前、世界陸上ローマ大会を数日後に控えた1987年のことだ。だが広告塔として期待されたルイスの前にベン・ジョンソンが出現し、「ルイスの時代」にも陰りが見え始めた。開発担当の木村隆也は靴問屋や繊物工場の協力を得て、強度と耐久性を兼ね備えた軽量化に取り組み始めた。めざすは素足のような軽いシューズ。ソウル五輪の屈辱を胸に秘めた0・1グラム単位の開発は、最終的に190グラムのシューズを115グラムまで軽くすることに成功した。
 史上最年長で世界記録を更新したルイス復活劇は、商品化を度外視して「魔法の靴」をつくり上げたプロジェクトのメンバーとの信頼関係が生んだものであった。
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2005年08月01日

プロジェクトX 7 執念が生んだ新幹線〜老友90歳・飛行機が姿を変えた NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 7 執念が生んだ新幹線〜老友90歳・飛行機が姿を変えた
プロジェクトX 7 執念が生んだ新幹線〜老友90歳・飛行機が姿を変えた

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  昭和32年、国鉄鉄道技術研究所に所属する3人の男が熱海の旅館で顔を突き合わせていた。互いの研究内容も知らない関係だが、旧陸海軍出身の彼らには共通する思いがあった。自分たちの技術を戦争ではなく、平和のために生かしたい。
 そこで浮かびあがったのが「東京―大阪」間を3時間で走る夢の超高速列車。蒸気機関を主体とする当時の常識を覆す計画だ。当初、非現実的だと思われたこの計画は世論に支えられ翌年動きはじめる。飛行機や自動車におされ気味の鉄道界が威信をかけるプロジェクトでもあった。
 彼らは振動を吸収する台車、ATC(自動列車制御装置)、流線型の車体など、欧米の鉄道界にまで影響を与える新しい技術を次々と開発。昭和38年、ついに世界最高の時速256キロの新幹線を完成させた。人命を奪う技術開発に胸を痛めた技術者たちが「新幹線」に賭ける第二の人生のストーリー。
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2005年08月01日

プロジェクトX 6 妻へ贈ったダイニングキッチン/勝負は一坪・住宅革命の秘密 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 6 妻へ贈ったダイニングキッチン/勝負は一坪・住宅革命の秘密
プロジェクトX 6 妻へ贈ったダイニングキッチン/勝負は一坪・住宅革命の秘密

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  昭和20年代後半から復興経済を反映し、東京を中心とする都市部に人口が集中し始めていた。年間30万人ずつ膨れ上がる東京の人口。あまりの住宅事情の悪さに、人々の不満は爆発し、「住宅よこせ運動」まで起きる状況にあった。
 そこで、国は日本住宅公団を設立し、10年間で30万戸の住宅を建設するという計画を打ち出した。しかし、建設する住宅一戸あたりの予算と面積は、「75万円、13坪」。当時の都営住宅の広さ12坪と比べても、その差は1坪しかなかった。
 その1坪を良質の住宅供給にかけた男がいた。尚明、公団の初代住宅計画部課長である。バラック住宅に住みつづけていた尚が考え出したアイデアは、北側の寒い台所で震えながら炊事をする妻・道子の姿を見て思いついたものだった。「南側の暖かい場所に台所をつくろう」。
それは従来の「間取り」の常識を一変させる提案だった。さらに、椅子とテーブルで食事ができるスペースに1坪を使う「ダイニングキッチン」の構想が固まった。
 かつて、宝くじに当たるより難しいといわれ、人気を集めた「ステンレス流し台付き公団住宅」のプロジェクト。その背景には、尚の妻に対する夫婦愛があった。
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2005年08月01日

プロジェクトX 5 世界を驚かせた一台の車/名社長と闘った若手社員たち NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 5 世界を驚かせた一台の車/名社長と闘った若手社員たち
プロジェクトX 5 世界を驚かせた一台の車/名社長と闘った若手社員たち

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  二輪の世界ですでに名声を得ていたホンダ。後発の四輪分野で、アメリカの「マスキー法」に定められた厳しい排ガス規制に果敢にチャレンジした。1972年、世界で初めて同法規制値をクリアしたCVCCエンジンは、驚異的な低公害エンジンでありながら、高い動力性能と低燃費を実現し、世界を驚かせた。そして、同エンジンを搭載した「シビック CVCC」は爆発的な人気を博し、本田技研工業を「世界のホンダ」に押し上げた。
 しかし、この名車誕生の陰には、社長・本田宗一郎と、その弟子である若手技術者との、苦悩と葛藤のドラマがあった。先発メーカーの技術の改良を試みる若手技術者に対し、独自技術の開発にこだわる社長。低公害化を実現したプロジェクトに対し、「これで世界一の自動車会社になる」と喜んだ社長。
しかし、「私たちは社会のためにやっているのだ」と反発する若手技術者たち。この言葉を聞いた本田氏は、「自分の時代は終わった」と、まもなく社長の座を降りる。
 試行錯誤のエンジン開発プロジェクトの陰で繰り広げられた、名社長と若手技術者たちの世代を越えた心の交流を描く物語。
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2005年08月01日

プロジェクトX 4 ガンを探し出せ/完全国産・胃カメラ開発 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 4 ガンを探し出せ/完全国産・胃カメラ開発
プロジェクトX 4 ガンを探し出せ/完全国産・胃カメラ開発

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  昭和25年、ガンによる死亡者数が急激に増え始め、中でも胃ガンによるものが最も多かった。東京大学附属病院の若い外科医だった宇治達郎(当時30歳)は、「胃袋の壁を内側から写真に撮ったら、胃ガンを早期発見できる」という発想から、胃カメラ開発をオリンパス光学に持ちかける。人間の体内をのぞくという超小型カメラの開発。若き医師と技術者の様々な難問への挑戦が、常識を超えた発想で推し進められた。
 開発の陰には、レンズを磨き上げた名人がいた。そして、直径5ミリの電球をつくり上げた職人がいた。
 敗戦間もない日本で、斬新な発想と、何にでも挑戦しようとする町工場との連携で、世界初めての完全国産による胃カメラが開発され、その後の医療の世界に大きな貢献をもたらした。
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2005年08月01日

プロジェクトX 3 友の死を越えて/青函トンネル・24年の大工事 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 3 友の死を越えて/青函トンネル・24年の大工事
プロジェクトX 3 友の死を越えて/青函トンネル・24年の大工事

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  かつて本州と北海道を結ぶ交通手段は、津軽海峡を渡る青函連絡船しかなかった。《船の墓場》と呼ばれ、荒れる海として知られたこの津軽海峡。冬、海が荒れるたびに連絡船は欠航し、北海道への物資は滞り、道民の生活は大きな影響を受けていた。
 この荒海の下にトンネルを掘り、鉄道を通そうと、「青函トンネル」の工事がスタートしたのは昭和39年。しかし、難工事の途中、死亡事故が続発。さらに、大規模な出水事故にも見舞われた。そして昭和58年、仲間の死という試練を乗り越え、「先進導坑」と呼ばれるパイロットトンネル貫通の瞬間を迎えた。
 24年に及ぶ歴史的難工事の末、完成した「青函トンネル」。「先進導坑」を掘りぬいたのは、鉄建公団の若き技術者と74人のプロのトンネルマンたちを中心としたプロジェクトだった。これは、「青函トンネル」に人生を懸けたトンネルマンたちの苦闘と情熱の物語。
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2005年08月01日

プロジェクトX 2 窓際族が世界規格を作った/VHS・執念の逆転劇 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 2 窓際族が世界規格を作った/VHS・執念の逆転劇
プロジェクトX 2 窓際族が世界規格を作った/VHS・執念の逆転劇

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  日本人が初めて生み出した世界規格「VHS」。その快挙は、当時業界8位の中堅家電メーカー・日本ビクターの窓際技術者たちの「意地」の成果だった。
 昭和45年、日本ビクターはビデオ事業に乗り出したが、赤字続きだった。その事業部長に就任したのが、高野鎭雄(47歳)だった。高野は、家庭用VTRの決定版を作れないかという夢をかなえるため、わずか3人の技術者で極秘プロジェクトを結成した。本社の合理化方針のなか、プロジェクトを守り続け、6年の努力の末、「VHS」の開発に成功した。
 そして高野は、「VHS」の技術を国内外のメーカーに無条件で公開する。自社の利益を度外視したこの戦略が、先行のソニー・ベータマックスを大逆転し、「VHS」を世界標準規格に押し上げるに至った。
 短期利益を重視せざるを得ない会社の壁と闘い続け、世界規格を作り上げた「VHS開発プロジェクト」の執念のドラマ。
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2005年08月01日

プロジェクトX 24 新羽田空港 底なし沼に建設せよ NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 24 新羽田空港 底なし沼に建設せよ
プロジェクトX 24 新羽田空港 底なし沼に建設せよ

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  日本の空の要「東京・羽田空港」。離発着する飛行機は、一日およそ800便。世界屈指の巨大空港である。しかし、空港が建つその土地は、20年前、まさに“底なし沼”といわれたヘドロの海だった。

 立ち向かったのは、日本全国の土木技術者たち。19世紀のスウェーデンで開発された「ペーパードレーン」という水抜き作戦に打って出た。さらに、研究所の佐藤も、強固な舗装を実現する新しいコンクリートを採用。プロジェクトは、日本の土木技術、総力を挙げた闘いとなった。

 だが、間もなくの調査で、とんでもない事態が明らかになる。「建設後も凄まじい沈下が止まらず、空港は使い物にならなくなる」。旧羽田空港の状況は、刻一刻と悪化するばかり。果たして新空港は開港できるのか。そのとき、研究所の佐藤が、前代未聞の大作戦に出る。

 日本の空の時代を築くため、総力を挙げて戦い抜いた技術者達の壮絶な物語である。
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2005年08月01日

プロジェクトX 24 列車炎上 救出せよ 北陸トンネル火災 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 24 列車炎上 救出せよ 北陸トンネル火災
プロジェクトX 24 列車炎上 救出せよ 北陸トンネル火災

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  昭和47年11月6日、全長13キロメートルの北陸トンネル内で国鉄の夜行急行「きたぐに」が炎上。
 乗客760名に絶体絶命の危機が迫った。その時、かけつけたのは地元消防署の課長。部下4名を率いてトンネル内への突入を決断する。

 その日午前1時4分。定刻より2分遅れて大阪発青森行きの夜行急行「きたぐに」は、ほぼ満員の760名を乗せ敦賀駅を発車した。故郷・東北へ帰る乗客は、みな眠りについていた。
敦賀駅を出て5分、列車は北陸トンネルに入った。全長13キロメートル、日本第2位の長大トンネル。列車は15分ほどで通過する予定だった。しかし、急行「きたぐに」はトンネルの中央部で突然、止まった。食堂車から火の手があがり、猛烈な勢いで燃え出した。瞬く間にトンネル内部は炎と煙で覆われた。眠気眼の乗客たちは、強まる煙の勢いにパニックとなった。

 連絡を受けた敦賀市美方消防署。課長の岸下正男は現場に駆けつけた。
しかし、猛烈な煙の勢い、乗客の救出は困難を極めた。
 岸下は、怒りがこみ上げていた。岸下はこれまで何度も国鉄を訪ね、北陸トンネルの安全管理を要望していた。しかし、国鉄は全く聞く耳を持たなかった。「田舎の消防に何が分かる」と要望書を突き返されていた。

 この事件を契機に、国鉄は列車の不燃化やトンネルの安全性を徹底的に見直すことになった。その後作られた世界最長の青函トンネルなど、この北陸トンネル火災の教訓が随所に生かされている。

 昭和史に残る大事故の裏で乗客の救出に命をかけた消防隊員たちの決死の救出劇を描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 24 宿命の最強決戦/柔道金メダル・師弟の絆 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 24 宿命の最強決戦/柔道金メダル・師弟の絆
プロジェクトX 24 宿命の最強決戦/柔道金メダル・師弟の絆

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  日本が生んだ世界のスポーツ「柔道」。競技人口は世界200ヶ国、1000万人に上る。モットーは、「柔よく剛を制す」。身体は小さくとも、技を極めれば力の強い相手を投げる事が出来る。開祖・嘉納治五郎から、小説に登場する姿三四郎まで。鍛錬を重ねた技で強力な力を封じ込める姿が、柔道最大の魅力として喧伝されてきた。
 しかし昭和39年、日本柔道の前に一人の男が立ちはだかった。オランダの巨人・へーシンク。197センチ、120キロ。並はずれた巨体とすさまじい腕力の前に、日本選手の技は通じなかった。「技が力に負けた。」柔道の本質が揺らいでいた。

 日本代表チームは、再建策に奔走した。その中心となったのは、神永昭夫。東京オリンピックでヘーシンクに敗れ、苦杯をなめた男だった。当時、学生界最強を誇った明治大学柔道部の監督に就任、学生を鍛え始めた。
 神永の理論に最も深く共鳴したのは、上村春樹18才。チーム最弱の部員だった。「俺が勝つには、これしかない。」神永を師匠と定め、その技の研究を開始した。

 神永昭夫と上村春樹。柔道の技に懸けた師匠と弟子の姿を中心に、柔道日本復活の知られざるドラマを描き出す。
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2005年08月01日

プロジェクトX 24 地上240m 世界最速エレベーターに挑む NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 24 地上240m 世界最速エレベーターに挑む
プロジェクトX 24 地上240m 世界最速エレベーターに挑む

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  近年、各地で超高層ビルを軸にした都市再開発が進んでいる。建築の高層化に欠かせないのが、「縦の交通機関」エレベーターである。日本は世界一のエレベーター大国。稼働台数は55万台にのぼる。
 昭和53(1978)年、日本のエレベーター技術を世界に知らしめた衝撃のエレベーターが登場した。池袋・サンシャイン60ビルに設置された、世界最高速(当時)のエレベーターである。高さ240メートル、地上60階を、分速600メートル、わずか35秒で駆け上がる。速さだけでなく、立てたコインが倒れない究極の安定性も実現した「夢のエレベーター」。その陰には、知られざる長い闘いがあった。
 戦時中、贅沢品として製造禁止になり、一度は絶えた国産エレベーター。戦後、その復活にかけ、独自技術を磨き上げてきた技術者たちが、先進国アメリカとの競争で挫折を味わった末、やっとたどり着いた開発だった。
 高速運転に伴う、想像を超えた振動や騒音。開業間もなくビルを襲った強風。数々の壁を乗り越え、世界を制したエレベーター技術者たちのドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 24 南大門仁王像 大修理/運慶に挑んだ30人 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 24 南大門仁王像 大修理/運慶に挑んだ30人
プロジェクトX 24 南大門仁王像 大修理/運慶に挑んだ30人

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  奈良・東大寺。その参道に凄い仏像がある。「南大門金剛力士像」。あの天才・運慶、快慶たちが作り上げた世界最大の仁王像である。運慶特有の鋭い目線や盛り上がる筋肉。この仁王像は、日本が世界に誇る木像芸術だ。
 しかし17年前、仁王像はボロボロの倒壊寸前だった。長年の風雪で、表面には無数の亀裂。指は欠け、台座は白蟻に食い尽くされていたのである。

 「このままでは、日本の宝が失われる」。その時、立ち上がったのは、仏像一筋に生きてきた職人集団「美術院国宝修理所」の技師たちだった。総責任者・所長の小野寺久幸は、愛弟子の山本敏昭を現場リーダーに抜擢。前代未聞の巨大仁王の修理に打って出た。
 しかし、解体作業は困難を極めた。運慶が仁王を作り上げた当時の設計図などは一切残っていない。作業は、総て手探り。鎹を外すと、部材は長年の力から解き放たれ、突然暴れ狂い反り返った。それでも、総てバラし終わると、部品の数は、何と3000を越えた。「本当に元通りに組み上げられるのか」。その時、メンバーは、あの天才、運慶の技の総てに挑み始めた。

 番組は、日本の宝、東大寺仁王像の修理を手掛けた技師たちの、あの天才運慶たちへの挑戦のドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 24 創意は無限なり/超音波診断機エコー NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 24 創意は無限なり/超音波診断機エコー
プロジェクトX 24 創意は無限なり/超音波診断機エコー

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  中高年が通う「人間ドック」。そこで威力を発揮する診断装置がある。超音波診断装置、「エコー」。探触子を体の表面に当てるだけで、僅か5ミリの初期ガン病巣も、心臓内の弁の動きも確実に見極められる。毎日、日本全国で15万人が、この装置で診断を受けるという。

 この夢の装置を初めて世に送ったのは、日本人だった。
 時代は、戦後間もない昭和25年。切っ掛けを作ったのは、東京・お茶の水にある順天堂医院、その脳外科で働く新米医師・和賀井敏夫。実はこの年、和賀井は、担当していた16歳の女性患者を亡くしてしまう。当時、脳腫瘍の検査にはレントゲンが使われていたが、それでは病巣を見極める事が殆ど出来なかったからである。
 だが間もなく、和賀井は、造船所では超音波を使い船体内部の傷を検査していることを知る。「超音波で脳腫瘍を発見できないか」。そこに、戦中、兵器を作っていた日本無線の技術者たちが参集。プロジェクトは始まった。

 体内の診断に革命をもたらした「エコー」の開発物語をつぶさに取材。医師と技術者の飽くなき挑戦の姿を描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 23 毛利飛行士 衝撃の危機脱出/技術者たちの総力戦 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 23 毛利飛行士 衝撃の危機脱出/技術者たちの総力戦
プロジェクトX 23 毛利飛行士 衝撃の危機脱出/技術者たちの総力戦

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

 平成4年9月、アメリカ・ケネディー宇宙基地。打ち上げを目前に控えたスペーシシャトル・エンデバーに、日本中の視線が向けられていた。あの毛利衛が、日本人初の宇宙飛行士として、未知の世界・宇宙への発進を実現しようとしていたからである。
 しかしこの時、実は、毛利にはもっと大きな使命があった。宇宙の無重力空間で行なう34項目に及ぶ実験。次世代の半導体作りや、超高性能の光ファイバー作り。技術立国・日本の将来が毛利の手に託されていた。

 エンデバーには、秘密兵器が搭載されていた。わずか七日間のシャトル飛行、その間に34もの実験を可能にする前代未聞の実験装置だった。組み込まれた5つの電気炉はすべて全自動運転。しかも、同時に複数の運転が可能な制御システム。その名は「ジャパンラック」。日本の国産ロケットを開発してきた技術者たちが、苦難の末に開発した物だった。

 しかし、無事、打ち上げに成功したエンデバー。その直後、衝撃の事態が毛利を襲った。「ジャパンラック」が故障。冷却水が漏れ出し、シャトルに炎上の危機が迫った。「あのチャレンジャー号以来の最大の危機」。NASAは騒然となった。
その時、宇宙の毛利と、地上の日本人技術者。運命の大勝負が始まった。

 番組は、日本初の宇宙飛行士の陰で繰り広げられた壮絶なドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 23 不屈の町工場 走れ魂のバイク NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 23 不屈の町工場 走れ魂のバイク
プロジェクトX 23 不屈の町工場 走れ魂のバイク

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

 日本最大のバイクレース「鈴鹿8時間耐久」。日本の4大メーカーは、最新鋭のマシーンを送り込み、凌ぎを削る。かつてここに、わずか数人の小さなチームで大メーカーに挑んだ町工場があった。

 バイクのエンジン部品を手作業で改造する小さな工場「ヨシムラ」。親父の名は、吉村秀雄。マフラーやカムシャフトなど、たちまち奇跡の部品を生み出すその手は、「ゴッドハンド」と言われた。

 吉村の部品には、世界のメカニックも真似の出来ない技術が吹き込まれている。「ヨシムラ」は、あの本田宗一郎さえも脱帽した町工場なのだ。
 しかし、この町工場が世界に認められるまでには、長い苦難の道のりがあった。

 吉村秀雄は、九州・博多の鉄工所の次男。戦前、史上最年少の19歳で「航空機関士」に合格したが、敗戦で技術を発揮する場が失われ、生きる目標を見失っていた。そんな吉村に、昭和29年、運命の出会いが訪れる。進駐軍の兵士からレース用にと、バイクの改造を依頼された。

 バイク・エンジンの躍動感や加速感。かつて我を忘れて取り組んだ飛行機と似ていた。「これだ」と確信した吉村は、早速、バイクのチューンナップに乗り出した。家族総出で取り組んだヨシムラのマシーンは、レースで驚異のタイムを叩きだした。

 勝利を重ねる町工場「ヨシムラ」の名は、瞬く間に全国に広がった。やがて、ホンダから部品を提供してもらいマシーンを改造するという契約を果たした。
 
 しかし、間もなく危機が訪れた。「吉村はライバルだ」。自らレース専門会社を設立したホンダは吉村との契約を断ち、部品の提供をストップ。吉村は孤立した。

 さらに、工場の未来を懸け、アメリカの市場に飛び込んだが、共同経営者に会社を乗っ取られる。再起を掛けた新工場も火事で焼失。吉村自身も技の命・両手が動かぬ瀕死の重傷を負った。

 絶体絶命のピンチ。その時、吉村の前に現われたのは、「レースで勝ちたい」と願うバイクメーカーの技術者だった。吉村は家族と共に、一発逆転を掛け、昭和53年「第一回鈴鹿8時間耐久レース」に打って出る……。

 技術一本に突き進んだ吉村秀雄とその家族の生き様を取材。大メーカーに立ち向かった町工場の壮絶な物語を描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 23 100万座席への苦闘/みどりの窓口・世界初鉄道システム NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 23 100万座席への苦闘/みどりの窓口・世界初鉄道システム
プロジェクトX 23 100万座席への苦闘/みどりの窓口・世界初鉄道システム

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

 1日の列車本数7万本の鉄道大国・日本。ビジネスや帰省など、人々の長距離移動を支えるのが、全国8000もの端末を持つ「みどりの窓口」である。今から46年前、日本で始めてのオンラインシステムに挑んだのは、国鉄と電機メーカー日立の技術者たちだった。
 切符予約を東京のコンピューターと全国の端末とを結び、発券する「みどりの窓口」は、社会基盤に巨大システムを導入する初めて試みとなった。その実用化の陰には、続発するトラブルと闘い続けた人々の、14年間に及ぶ壮絶なドラマがあった。

 昭和33年、高度成長に向かう日本。しかし駅の指定券売り場では怒号が飛び交っていた。長い列は一向に進まず、指定券を取るのに半日も待たされることがあった。
 特急列車の増発が相次ぎ、手作業はもはや限界。ついには客が発券を待つ間、乗りたい列車が空席のまま出発する事態となった。抗議が、国鉄に殺到した。
 「コンピュータを導入できないか。」国鉄は日立とともに、予約の自動化に乗り出した。「マルス」と名づけられた座席予約システムは昭和35年、試験導入に成功。その5年後には全国150の駅に配置され「みどりの窓口」と名づけられた。
 しかし、緒に就いたばかりの巨大システムは脆弱だった。各駅からの要求が集中する午前9時にはコンピュータがパンク。各地で切符の二重発券のミスも続発した。さらに、断行された大ダイヤ改正では、九州中の急行列車に大規模な配席ミスが起こる不祥事を起こした。システムの信頼は、がた落ちとなった。
 国鉄側のリーダー・尾関雅則は、トラブルの原因はチームの組織にあると思った。
 「これはプロジェクトではない」
 発注側の国鉄はコンピューターのことを知らずに無理な発注を押し付け、受注側の日立は鉄道という巨大交通網を軽んじたままプログラムを作っていた。
 尾関は恐れた。「もうすぐ100万座席の時代が来る。同志にならない限り、プロジェクトの成功はない」
 尾関は前代未聞の改革に乗り出し、新システム導入に鉄道の未来をかけた。

 情報化時代に先駆け、未知の技術の実用化に執念を燃やした人々の苦闘を描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 23 悲劇のルワンダ 希望の義足 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 23 悲劇のルワンダ 希望の義足
プロジェクトX 23 悲劇のルワンダ 希望の義足

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  アフリカの小国・ルワンダ。10年前、ここで世界を震撼させる出来事が起きた。
 二つの民族の衝突による80万人以上にのぼる大虐殺。実はその時、もう一つの悲劇が起こっていた。人口800万人の1割が、地雷などによって手足を失い障害を負ったのである。

 その惨状を、一人の日本人女性が見た。吉田真美、31才。ごく普通のOLだった彼女は、会社を辞め日本の義肢工房に弟子入りした。心の支えは、祖国ルワンダの復興に懸ける男、ガテラ・ルダシングワ。間もなく、吉田はルワンダへ飛び、ガテラをはじめとする現地の人々と共に義肢作りに打って出た。「日本で集めた中古の義足を改造し、無償でルワンダの人々に提供する」。少しでも国造りの力となればと、吉田は一年余りで、実に80本もの義足を作った。

 しかし、プロジェクトには大きな壁が立ちはだかった。患者が、せっかくの義足を使ってくれない。混乱の中、仕事がないルワンダ。足が無い方が金を恵んで貰える、というのが理由だった。現地スタッフの志気も下がるばかり・・。
 その時、吉田とガテラは、最後の希望を一人の現地の青年に託した。かつて爆弾で左足を失った、セザール26才。なんと、セザールを水泳選手とし、オーストラリア・シドニーで開かれる障害者のスポーツの祭典「パラリンピック」のルワンダ初参加に挑んだのである。“ルワンダの人々に生きる勇気を…”。プロジェクトの大勝負が始まった。

  今なお奮闘が続く現地ルワンダの義肢工房を舞台に、1人の日本人女性と現地の人々の飽くなき挑戦のドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 23 命のリレー 出動せよ救急救命士 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 23 命のリレー 出動せよ救急救命士
プロジェクトX 23 命のリレー 出動せよ救急救命士

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  心臓発作、脳溢血、交通事故。突然襲う生命の危機。その時、真っ先に駆けつける男たちがいる。救急救命士である。今、年に2000人を超す人々が、心肺停止状態から一命を取り留めている。

 しかし、わずか12年前、日本の救急隊員は無力感に苛まれていた。医療行為は法律で許されていなかった。いったん心臓や呼吸が止まると、脳は3分しか持ちこたえられない。隊員たちは、搬送中、多くの急患が手遅れになるのを、手をこまねいて見ているしかなかった。 救急隊はただ患者を搬送するだけだったため「運び屋」と呼ばれるほどだった。
 救急隊の前に立ちはだかったのは法律の壁「医師法第17条」。
 「医師でなければ医業はしてはならない」
 医療は医者の聖域として守られていた。

 ところがアメリカの救急隊は、法律で多くの医療行為が認められていた。
 電気ショック、気管内挿管、輸液投与など。心肺停止状態になった患者に対し、救急隊が効果的に救命処置ができた。多くの命が救われていた。
 心肺停止状態からの社会復帰する人たちは20%とも言われており、ほとんどゼロに等しい日本とは比べものにならなかった。
 「アメリカにできることがなんで日本でできないんだ」
 「助かる命も助からない」
 立ち上がったのは、東京消防庁の男たち。
 組織をあげて、法律の壁に挑んだ。

 そして、平成3年「救急救命士法」が成立。一部の医療行為が救急隊に許されるようになった。
 今、全国に13000人(救急隊の63%に配属)。救急医療の最前線に革命をもたらした救急救命士。その誕生のドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 23 われら茨の道を行く/国産乗用車・攻防戦 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 23 われら茨の道を行く/国産乗用車・攻防戦
プロジェクトX 23 われら茨の道を行く/国産乗用車・攻防戦

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

 愛知県豊田市。そこに、年間16兆円を売り上げる世界企業がある。「トヨタ自動車」。年に生産する車の数は、実に600万台。稼ぎ出す外貨は、日本が毎年輸入する原油の総額に匹敵する。


 しかし昭和25年、「トヨタ自動車」は倒産の危機にあった。主力商品は、戦中、軍用に作ったトラック。故障で売れなかった。銀行に融資を止められ、給料も払えない。すぐさま勃発した全従業員6000人の大ストライキ。創業の社長は、辞任に追い込まれた。

 その時、命運を託されたのは、工場叩き上げの現場主任・中村健也だった。眼光鋭く、威圧感のある男。入社以来の夢、「国産乗用車開発」に打って出た。

 だが、開発は過酷を極めた。トラックとは違い乗用車の鍵は振動の制御。日本の悪路は手強かった。試作車を作るが、バネは折れ、車体はバラバラ。さらに、国内のライバルメーカーは、次々に外国企業との技術提携の道を選択。経済界からは、「自動車産業不要論」までもが出た。

 それでも、開発のリーダー・中村は諦めなかった。2万点を数える部品の一つ一つを改良。車体作りの鍵・鉄板を求め、自ら鉄鋼メーカーとの交渉に乗り出す。そして昭和31年、完成した車は、ロンドンー東京・全長5万キロの壮大なテストドライブに打って出る。


 初の本格国産乗用車「クラウン」。その執念の開発物語。「自動車王国・日本」誕生の壮絶なドラマを伝える。 
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2005年08月01日

プロジェクトX 22 海の革命エンジン 嵐の出漁 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 22 海の革命エンジン 嵐の出漁
プロジェクトX 22 海の革命エンジン 嵐の出漁

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  世界の海に革命を起こしたエンジンがある。その名は「船外機」。
取り付け1分で、手こぎの小舟がモーターボートに変身する。世界中の沿岸漁業で使われ、漁獲量を飛躍的に伸ばした。今、日本が世界シェア1位を誇る。

 船外機は95年前、アメリカで開発されたが、当初は連続30時間も使うと壊れた。
 そこでバイクメーカー・ヤマハは、昭和35年、耐久性に優れたバイクのエンジンを転用し、生産に乗り出す。しかし、水上での使用は予想以上に過酷だった。焼きつきなど故障が相次ぎ、赤字を出すだけの「損害機」と呼ばれた。

 昭和46年、低迷する船外機部署に送り込まれたのは、安川力、当時46歳。伝説の名車・トヨタ2000GTの共同開発に参加、エンジンを手がけた技術者だった。安川達は改良を重ね、過酷な条件で連続500時間以上運転可能な究極のエンジンを完成、海外市場に本格的に打って出る。しかし、ブラジルでは突如エンジンが水中に沈んだ。
 さらに、スリランカの漁民から思わぬ苦情が寄せられる。

 数々の困難を乗り越え、船外機の世界市場を開いた人々の知られざるドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 22 撃墜予告 テヘラン発 最終フライトに急げ NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 22 撃墜予告 テヘラン発 最終フライトに急げ
プロジェクトX 22 撃墜予告 テヘラン発 最終フライトに急げ

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  イラン・イラク戦争中の1985年3月12日、イランの首都テヘランで200人以上の日本人が空爆に突然さらされ、絶体絶命の危機に陥った。イラクのフセイン大統領が平穏だったテヘランを爆撃し始めたのである。

 死者が続出し、修羅場と化したテヘランには、日本の商社マンや技術者が暮らしており、妊婦や赤ん坊を含む80人以上の婦女子もいた。出国しようと動き出したが、陸路は山賊にふさがれ、空路に賭けた。

 しかし、3月17日、フセインが2日後の19日20時30分以降、イラン領空を飛ぶ民間機も撃墜対象とすると宣言。数少ない航空券に人々が殺到した。各国の航空会社にとって自国民の救出が最優先だったため、日本人に席はなかった。日本の航空会社はイランに飛んでおらず、邦人は絶望の淵に追い込まれる。

 タイムリミット目前、日本人を救おうと命がけの行動に出た男たちがいた。特別便の手配に奔走する還暦間際の日本人外交官。同僚のために遠く離れた地で信じられない賭けに出た商社マン。そして、誰もが思いもかけなかった国・トルコの敏腕パイロットが、命がけの飛行をかってでた。

 対空砲が発射され、空襲警報が鳴り響くテヘランに向かうトルコ航空の特別便。国境を越え、人命救助に立ち上がった日本とトルコの人々の2日間の闘いを克明に描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 22 日米ブルドーザー対決 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 22 日米ブルドーザー対決
プロジェクトX 22 日米ブルドーザー対決

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  大規模潅漑工事や巨大ダム工事…。世界中の現場で唸りを上げる日本製機械がある。工事の根幹を握る「ブルドーザー」。今、日本が占めるブルドーザーの世界シェアは米国と二分し約半分。建設機械を牽引し、特に発展途上国の国土建設に大きな貢献をしている。

 しかし40年ほど前まで、日本のブルは米国製の足下にも及ばぬと軽蔑されていた。非力な上に、耐久は約半分。戦後復興を急ぐ国内でしか認められない代モノだったのである。
 昭和36年、日本のメーカーに激震が走った。米国製品の輸入解禁。「このままでは、日本製ブルの息の根が止まる」。立ち上がったのは、メーカーの老舗・小松製作所の技術者達。リーダーは、戦後、初の国産ブルを作り上げた山本房生だった。「僅か3年の内に、米国の上をいくブルを作ろう」。無謀とも思われた目標に、山本は画期的なクオリティーコントロールの手法で挑戦。設計と現場、一丸となった闘いで、実に2000に及ぶ部品の強度を上げるた。そして直後、山本は思い切った作戦に出る。本拠地アメリカへの逆上陸。「アメリカが認めれば、世界が日本のブルの性能を認めた事になる」。
 だが、そこで待っていたのは巨岩ひしめくアメリカ特有の過酷な現場。手荒な使われ方に、山本達のブルは次々故障した。修理を繰り返すも信用は落ちるばかり。プロジェクトは崖っぷちに立たされた。
 しかしその時、逆上陸の拠点・カルフォルニアで一大河川氾濫災害が発生。「今こそ、日本製ブルの底力を見せつけよう」。メンバーは、改良したてのブルを携え現場に乗り込んだ。

 番組は、国造りの根幹を握る重機「ブルドーザー」の開発と普及に心血を注いだ人々に着目。敗戦国の復活を懸け、アメリカと真っ向勝負を繰り広げた壮絶なドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 22 100万ボルト送電線 決死の空中戦に挑む NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 22 100万ボルト送電線 決死の空中戦に挑む
プロジェクトX 22 100万ボルト送電線 決死の空中戦に挑む

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

   昨年8月に起きたニューヨーク大停電。闇に沈んだ時間は、実に29時間。人々は、電気を失った都市の恐怖を思い知らされた。
 その中、世界一、停電が少ない都市がある。日本の首都・東京。その支えは、世界最大100万ボルト送電線。新潟から関東、全長250キロ。張り巡らされた48本の電線で、大量の電気を運んでいる。昭和63年、その大工事は始まった。鉄塔の高さは、従来の1.5倍・130m。そこに一本一本電線を架ける過酷な作業。しかも、ルートには標高2000mの難所も控える。挑んだのは、究極の鳶・架線電工(がせんでんこう)達だった。高所での移動は総て電線伝い。匍匐前進は当たり前、時には逆さ宙づり。現場では、電線一本に腰掛け8時間ぶっ通しで作業を続けた。その先頭に立ったのは、架線電工歴25年の田中登。電工の技を若い世代に繋ごうと、二人の若者を率いて乗り込んだ。
 しかし、標高2000mの現場は、田中達の想像を超えていた。足場は、傾斜40度を超える急斜面。風速20mの突風が吹き荒れ、雷が牙を剥いていた。鉄塔に取り付ける部材は、一個5トンにも及ぶ。プロジェクトは、一か八かの大勝負に打って出る。
 番組は、都市の生命線・電気に、誇りを懸けて闘った架線電工のベールに包まれた世界を描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 22 湯布院 癒やしの里の百年戦争 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 22 湯布院 癒やしの里の百年戦争
プロジェクトX 22 湯布院 癒やしの里の百年戦争

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  九州・大分の山あいに、各種調査で“最も行きたい温泉町”に選ばれる小さな町がある。大分県湯布院町。巨大レジャー施設はなく、田と牧場の昔ながらの農村風景が広がる。

 しかし、かつて湯布院は全く無名で、週末でさえ客のない宿もあった。町ごとダムに沈め、補償金をもらう計画まで役場や議会で検討されていた。
 昭和46年、借金をし、ドイツの温泉地を視察した宿の主人たちや農家の人々が立ち上がった。「農村の緑と静けさを守り抜き、心安まる保養地として町を立ち直らせよう。」全国の温泉地が鉄筋の高層ホテルにネオンを灯し、団体客を奪い合っていた時代、人々は頑なに田舎のたたずまいを守り続けた。

 そこに最大の困難が襲いかかった。バブル経済で一攫千金を狙う開発業者と銀行が町に殺到し、田んぼの値は一反一億円に急上昇。町の世帯数に迫るリゾートマンションが計画された。「ビル乱立で町が壊滅する前に開発阻止の条例を作るしかない。」
 しかし、動き出した役場の男たちに巨大な壁が立ちはだかる。「高さを五階以下に制限する条例案は法律より厳しく、認められない」。突然建設省から入った指導。条例は廃案の危機を迎え、町はバブルに飲み込まれようとしていた。人々は町の命運をかけ、再び国との交渉に挑み、一か八かの勝負に打って出る。

 無名の農村を日本中の人々が憧れる保養地に育て上げた人々の伝説の物語を伝える。
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2005年08月01日

プロジェクトX 22 幻の絵巻復元 ニューヨークの激闘 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 22 幻の絵巻復元 ニューヨークの激闘
プロジェクトX 22 幻の絵巻復元 ニューヨークの激闘

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  世界三大美術館の一つ、ニューヨーク、メトロポリタン美術館。その「ジャパニーズルーム」(日本の間)は、日本の屏風絵や浮世絵など2万点のコレクションを誇る。
 かつて、これらの作品は見るも無惨な姿だった。多くは、敗戦直後、GHQ等の手で日本から持ち出されたもの。和紙と絹で作られた繊細な日本絵画の扱いを知る者はなく、傷み放題だった。後世に伝えるには、数十年に一度の修復が不可欠。その特殊な技術を持つのは、京都で1300年前から技を受けついできた修復師達だけだった。
 その第一人者・岡岩太郎が、昭和41年、弟子の阿部光博をニューヨークに送り込んだ。しかし、作業場は光も入らない地下室。修復に使う糊は、麻薬と間違われ、税関に取り上げられた。最悪の環境のもと、阿部は細々と修復に打ち込んだ。
 ある日、阿部は美術館の倉庫で、長さ40メートルもの絵巻を見つけた。40年以上行方不明になっていた鎌倉末期の国宝級の大作「北野天神縁起絵巻」。虫食いや破れ、折り傷がひどい上に、一度切断され、でたらめに張り合わされていた。阿部と現地の協力者による、かつてない幻の絵巻の大修復作戦が始まった。
 異国の地で、日本の美を救うため、壮絶な闘いに挑んだ修復師達のドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 21 悲願のリンゴ 伝説の職人 津軽に立つ NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 21 悲願のリンゴ 伝説の職人 津軽に立つ
プロジェクトX 21 悲願のリンゴ 伝説の職人 津軽に立つ

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  世界中から食品の輸入が相次ぎ食糧自給率の低下が続く日本。そのなかで、他を寄せ付けないメイド・イン・ジャパンの農産物がある。
リンゴ「ふじ」。生産量世界一を誇る世界ブランドである。
しかし、その育成の陰には、リンゴ王国・青森の存亡を賭けた農家の人々の壮絶な戦いがあった。

昭和30年、青森県の農林省園芸試験所東北支場でとてつもなく甘いリンゴが度重なる品種交配の末、開発された。
「東北7号」のちに「ふじ」と名付けられる品種だった。バナナなどリンゴより糖度の高い輸入農産物の自由化が噂される中、青森のリンゴ農家の将来を託したリンゴだった。

しかし、「ふじ」は色づきが悪く、すぐに果実が割れる欠点を持っていた。しかも栽培するには現在のリンゴの枝を切り落とし、そこに新たな品種の枝を付け替える「高接ぎ」をする必要があった。しかし当時、枝を高接ぎすると、そこからウイルスが発生しリンゴの大木を枯れさせる謎の病が広がり、農家は誰もが新品種の栽培に二の足を踏んでいた。

その時、一人の農家が協力を申し出る。リンゴ作りの名人と言われた農家の斉藤昌美だった。「新品種開発以外に青森のリンゴ産業が生き残る道はない」と斉藤は背水の陣で「ふじ」の欠陥克服に挑み始める。
しかし、ふじを接いだ斎藤のリンゴの木にあの病「高接ぎ病」が大発生。リンゴの大木が次々に腐り始める。
そして、昭和38年、バナナが輸入自由化され、さらに昭和43年、リンゴの価格が大暴落。ついに、大量のリンゴが山や川に捨てられる空前の「山川市場」が発生。国産リンゴ壊滅の危機が迫る。

数々の困難を克服し、世界を制した果物「ふじ」を育てた青森の農家のドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 21 大阪万博 史上最大の警備作戦 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 21 大阪万博 史上最大の警備作戦
プロジェクトX 21 大阪万博 史上最大の警備作戦

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  昭和45年に大阪で開かれた「日本万国博覧会」。183日間で入場者6400万人、日本の人口の半数以上が訪れたことになる“史上最大のイベント”である。アメリカ館の「月の石」などが大変な人気を呼んだ。
 この祭典を、会場警備という裏方として支えた1200人の人々がいた。警察出身者とガードマンからなる「万博協会警備隊」である。
 警備隊は、開幕直後の3月15日から、大きな問題に直面した。ゲートを開けたとたん、数万人が目当てのパビリオンに一斉に走り出し、転倒者が続出。「動く歩道」では将棋倒しが発生。さらには、迷子ならぬ「迷い大人」。長蛇の列で頻発する客同士のトラブル。想像を超えた事態に次々と向き合った。それでも、警備隊は、「入場者は、万博を楽しみに全国からやって来る。力づくの警備はダメだ。1に安全、2にサービスを心がけよう。」と話し合い、巨大イベントにおける、新たな警備のノウハウを構築していった。
 最大の正念場は、閉幕一週前の土曜日。入場数はなんと島根県の人口をはるかに超える83万人。ゲートで入場者と退場者の群れが衝突、全く身動きの出来ない最悪の事態が生じた。警備隊は体を張った大誘導作戦に出たが、終電後、なお数千人が会場に取り残された。その時、現場の警備隊長が、思い切った決断を下す。
 高度成長期を象徴する史上最大のイベントを支え、その後のイベント警備の原点を形づくった人々の知られざる奮闘を描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 21 第九への果てなき道/貧乏楽団の逆転劇 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 21 第九への果てなき道/貧乏楽団の逆転劇
プロジェクトX 21 第九への果てなき道/貧乏楽団の逆転劇

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
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  昭和20年11月、群馬県高崎市の集会所で6人の男たちが頭を突き合せていた。この男たちは、忌まわしい過去を背負っていた。
 戦中、「音楽挺身隊」として戦意高揚を掲げ、軍需工場を巡回。その後、そこで働く多くの市民が空襲で亡くなっていたのである。
 丸山勝廣をリーダーとするこのメンバーは、「日本を音楽で奮い立たせたい」という大きな夢を持っており、その後、18人でオーケストラを結成し、演奏会を開いた。
 しかし、腕がなく客は減り、集めた若き音楽家たちは極貧生活に陥った。それでも、諦めなかった丸山は、「オーケストラを出前しよう」と、起死回生の案をひねり出す。県内の小学校を訪問しては音楽を奏で、一人十円の料金をもらう前代未聞の「移動音楽教室」。メンバーは、重い楽器を抱え、山から山へと旅を続け、年に300回の演奏を行った。
 しかし、貧困は凄まじく、厳しい食糧事情に体調を崩す楽団員も多数、生活に追われるものもおり、楽団は絶体絶命の危機に陥った・・・
 
 昭和31年1月、様々な困難を乗り越えた群馬交響楽団は奇跡のコンサートを開く。「自分たちの第九を披露しよう」と群馬の夜に「歓喜の歌」を響かせた。日本音楽界に今も語り継がれる、群馬交響楽団の伝説のドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 21 食洗機 100万台への死闘/赤字部署の40年 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 21 食洗機 100万台への死闘/赤字部署の40年
プロジェクトX 21 食洗機 100万台への死闘/赤字部署の40年

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  はてしない不況が続く日本で、飛ぶように売れる電化製品がある。「食器洗い機」。ここ数年、“買いたい電化製品”として常に上位にランクされる人気商品だ。
 しかし、その道のりは、まさに不遇だった。日本初の食器洗い機が開発されたのは、1960(昭和35)年。松下電器の洗濯機開発技術者が、アメリカ製品をまねて作ったのが最初だった。だが、大きい図体に水の浪費。さらには、性能の悪さから“愚劣な商品”のレッテルをはられ、開発チームは縮小、辛酸をなめ続けた。
 そこにチャンスが訪れた。1983(昭和58)年、松下が洗濯機事業の悪化に見舞われ、切り札として新たな食器洗い機の開発命令が下った。立ち上がったのは、若き技術者・谷口裕。入社以来、食器洗い機一筋の谷口は、「アメリカのまねは捨てる」と、“流しの上に置ける小型化”“汚れを確実に落とす洗浄性能”の日本型食器洗い機の開発に乗り出す。しかし、赤字続きを理由に、プロジェクトは再び解散の危機に。
 その時、メンバーは、起死回生の秘策に打って出る…。

 製品誕生以来、普及に40年もの長い時間を要した食器洗い機。プロジェクトが、会社の花形部署になるまでの苦闘を描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 21 霧の岬 命の診療所 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 21 霧の岬 命の診療所
プロジェクトX 21 霧の岬 命の診療所

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  昭和28年、一人の青年医師が妻と共に北海道東部の小さな漁村、霧多布にやってきた。村は、前年起きた十勝沖地震による津波災害に苦しんでいた。村の医療活動を背負うことになった内科医の名は、道下俊一、当時28歳だった。

道下を待ち受けていたのは、地域医療の厳しい現実だった。赴任した釧路日赤病院浜中分院(現・浜中町立浜中診療所)の担当地域は、52キロに渡る沿岸地帯。交通手段はなかった。ひとたび患者が出れば、真夜中でも、猛吹雪でも、往診に向かわなければならない。徒歩で間に合わない時は、漁師に頼み、小舟を出してもらった。ある時は、海の中で霧に閉ざされ、遭難しかけた。

道下の将来の夢は、札幌で開業医になること。父の願いでもあった。道下は霧多布での医療にやりがいを感じながらも、夢との狭間に揺れていた。しかし、そんな道下を支える若者達が現れた。地元出身の新米看護婦、桂千恵子。医学雑誌で必死に勉強、虫垂炎手術の助手をつとめあげた。レントゲン撮影助手、加藤一彦。地元定時制高校に通いながら働いた。いつしか、厳しい医療に立ち向かう小さな医療チームが出来ていった。内科専門だった道下は、仲間と共に、眼科、歯科、そして外科手術にまで取り組む。

昭和35年、道下の運命を決定づける事件が起きた。チリ沖地震が発生。霧多布は大津波に襲われ、10名を超える死者を出す惨事となった。8年前の十勝沖地震に続く災害。しかし、人々は決して霧多布を捨てようとしなかった。津波で怪我をした一人の高校生が、道下に言った。「先生、ここは俺の故郷だ。故郷を簡単に投げられるか」。
その言葉に道下は、霧多布に残ることを決意する。「津波で死ななかった子供達を、俺は一人も死なせないぞ」。道下は麻疹や水疱瘡が蔓延する避難所で、必死に治療に当たった。

過酷な災害に立ち向かい、地域医療を支え抜いた一人の医師と地元の人々による小さな診療所チームのドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 21 運命の滑走 人力飛行機 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 21 運命の滑走 人力飛行機
プロジェクトX 21 運命の滑走 人力飛行機

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  1966年2月。夜が明けきらない東京・調布飛行場に、報道陣が押し寄せていた。人力飛行機「リネット号」の初飛行の瞬間であった。

 滑走路を走り、機体がふわりと浮かぶ。高度1m、飛行距離10m。日本初の快挙だった。戦前から日本の航空界をリードし、「天才設計者」といわれた日本大学教授・木村秀政(63)とその教え子たちが3年の製作期間を経て成し遂げた。木村をはじめ、パイロットを務めた4年、岡宮宗孝ら学生たちは万歳を繰り返し、滑走路で抱き合った。

 日本初の国産純旅客機「YS−11」の計画責任者でもあった木村は、戦後7年に及ぶ航空機開発禁止によって遅れた日本の航空界に焦りを感じていた。そこで、「次世代の航空機開発を担う若者を育てたい」と人間の力だけで飛ぶ人力飛行機の開発に挑戦したのである。

 その開発は、飛行機製造のノウハウがつまり、“最小の力で空を舞う”という極めて困難な課題であった。飛行機が好きというだけで、専門的な知識もなく集まった学生たちは、この難題を前に何度も行き詰まった。

そんな時、木村は、学生たちに言った。「初めてのことに感動を持って向き合いなさい。感動のない者に進歩はない」。そして、やり遂げた人力飛行機の初飛行。卒業後、学生たちは、この時の自信を支えに技術者として様々な分野に巣立っていく。
 大空に夢を抱く若者たちのロマンと執念の物語である。
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2005年08月01日

プロジェクトX 20 桂離宮 職人魂ここにあり〜空前の修復作戦〜 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 20 桂離宮 職人魂ここにあり〜空前の修復作戦〜
プロジェクトX 20 桂離宮 職人魂ここにあり〜空前の修復作戦〜

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  京都・桂川の畔に日本最高の建築がある。
 桂離宮。およそ400年前、天皇の弟・八条宮智仁親王が源氏物語の世界に憧れ、造った別荘。広大な廻遊式庭園の中心に立つ御殿は、木目が最も美しい北山杉の風合いを生かした数寄屋風書院造り。柱の節一つ一つの位置まで、室内の調度品や襖絵と調和するよう、緻密に計算されている。戦前訪れたドイツの建築家、ブルーノ・タウトは言った。「泣きたいような美しさ。永遠の美がここにある。」以来、その名声は世界に轟いた。
 しかし、昭和40年代。老朽化した桂離宮に崩壊の危機が迫った。シロアリに喰われ、柱はボロボロ。白壁にはひび、床は傾いた。
 その時、大工に左官職人など、京都中の名工達が結集した。昭和51年、空前の大修理が始まった。柱や床板、1万の木材をいったん解体し、補修して組み直す。しかし柱の節ひとつ違っても、桂離宮の美は失われる。そのままの姿を保つため、繊細な作業が求められた。
職人達を束ねる工事事務所の所長に抜擢されたのは、工事全体を請け負った大手建設会社の技術者、水本豊弘、35歳。あだ名は仁王。高卒で入社、20代でビル建設の現場監督を任されてきたが、日本建築に関してはズブの素人だった。水本は現場で必死に職人たちに話しかけたが、大工の棟梁・川上英男はじめ、寡黙な男達から返事は返ってこない。水本は悩んだ。「自分が桂離宮をダメにしてしまうかもしれない。」水本の頭髪は一夜にして真っ白に変わった。
一方、棟梁の川上は柱の見た目を変えない接ぎ木の方法に苦しんでいた。そして、全てを決める白壁の修復。京都一の左官といわれた小川久吉が400年前の謎の塗りに挑んだ。
 日本が世界に誇る建築を蘇らせるため、困難な仕事に立ち向かった人々の技と執念を描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 20 復活の日 ロボット犬にかける NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 20 復活の日 ロボット犬にかける
プロジェクトX 20 復活の日 ロボット犬にかける

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  奇跡と言われた日本の戦後復興。その象徴的な会社の一つがソニーだ。焼け野原に建てられた小さな町工場は、独創性あふれる新商品を立て続けに発表、一躍世界に君臨するトップブランドとなった。
 その原動力は、独創性を重んじる社風にあった。
 創業者の井深大は言った。「新しいことをやれ。人の真似をするな」。テープレコーダー、CD、ウォークマン。技術者たちは熱意をもって、次々に新たな市場を作り出してきた。
 しかし1990年代、会社は経営を多角化し、巨大企業に膨れあがっていた。いつのまにか、新開発に挑もうにも、根回しと書類の山に埋もれるようになった。
 「もう一度、モノ作りの魂を復活させたい」。立ち上がったのは、土井利忠。若き日、井深大の元で薫陶を受けた男だった。
 幼き日に見た「命あるロボットを作りたい」という夢を思い出した。しかし、社内の目は冷ややかだった。「ロボットなんておとぎ話、作れるはずがない」と若手の研究者は反対し、「売れるはずがない」と役員会も反対した。それでも、土井はあきらめなかった。
 技術さえあれば、きっと市場は拓(ひら)ける。
 大胆にも社外から開発メンバーを募集した。そして迎えた役員会議、商品販売の許可をめぐって、メンバーはプロジェクトの存亡をかけた。
 番組では、夢の人工知能ロボット開発に、モノ作り復活の夢を託した男たちの挑戦の日々を描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 20 日本初のハイウエー 勝負は天王山 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 20 日本初のハイウエー 勝負は天王山
プロジェクトX 20 日本初のハイウエー 勝負は天王山

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

   昭和38年7月。日本初のハイウエー、名神高速道路(尼崎・栗東間)が開通した。
 日本の物流を変え、高度経済成長を支える大動脈となった高速道路。その第一号、名神高速建設の陰には、未知の道路に手探りで挑んだ技術者たちの姿があった。
 昭和26年、敗戦の痛手から立ち上がろうとしていた日本。国鉄が創設され、鉄道網の整備が始められていた。海運王国の復活をかけ、各地で港の建設も動き出した。その中で、取り残されたものがあった。道路だった。実に8割が未舗装、凸凹道に雨が降ればすぐにぬかるみ、通れなくなった。悪路は、経済の発展を阻んだ。
 この頃、全国の道路に立ち、一台一台車を止め、積荷や行き先を聞く男達がいた。建設省道路局企画課の職員達、埃まみれになっていた。その中心は、設計技術者・片平信貴、37歳。戦後、鉄道と海運が優先される中、片平は「日本復興には100キロで走れる高速道路が必要だ」と主張。予算もない中、何とか国を動かそうと部下達と細々とデータを集めていた。
 この年、転機が訪れた。サンフランシスコ講和条約の調印を終え、帰国した首相の吉田茂が「アメリカの国力は物流にある。日本にも高速道路を考えてもよい。」と前向きの考えを示した。世界銀行の融資を受け、昭和32年、名神高速の着工が決まった。
 初めての高速道路は全てが手探り。片平達は、出来るだけ直線になるよう、コースを作った。しかし、世界銀行から派遣されたドイツ人技術者ドルシュが首を横に振った。アウトバーンを設計したドルシュの指導で、ドライバーに最も負担をかけない、緩やかな「クロソイド曲線」に改められた。
 高さ7メートルの土台、盛土(もりど)の建設が始まった。生活道路を遮断しないための立体構造。高さ30センチ間隔で土の層を重ね、締め固める。一層でも締め方が甘ければ、すぐに崩壊。「万里の長城」とも呼ばれる難工事となった。さらに舗装のアスファルトは、砂利と石油原料の配合が難しく、凸凹に波打った。そして最大の難関は、京都と大阪の境にある天王山、全長1400メートルのトンネル建設。水分の多い粘土の地層が空気に触れ膨張、穴を支える木材の柱が次々に折れた。
 日本初の高速道路建設に挑み、日本経済の礎を築いた人々の壮大な物語を伝える。
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2005年08月01日

プロジェクトX 20 駅伝日本一 運命のたすきをつなげ NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 20 駅伝日本一 運命のたすきをつなげ
プロジェクトX 20 駅伝日本一 運命のたすきをつなげ

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  年末年始、日本人が熱狂するスポーツがある。「駅伝」。一本の「タスキ」をつなぎ必死で走る姿に皆、胸を熱くする。
 兵庫県西脇市に、高校駅伝最強のチームがある。「西脇工業高校」。全国優勝すること、史上最多の8回。町が全国に誇る宝である。しかし、西脇工業は、かつて、荒れた時代があった。そして、1人の教師がそこに飛び込み、生徒と向き合いはじめた。
 
 昭和43年。一人の体育教師が西脇工業高校に赴任した。渡辺公二31歳。着任早々、渡辺は驚いた。無気力で覇気を感じない生徒、そしてタバコや喧嘩をくり返す生徒たちがいた。渡辺に向かい「この学校に来たくなかった」と涙を流す生徒もいた。
 そんなある日、渡辺は、校門で衝撃的な事実を目の当たりにした。ある生徒が、制服のボタンを他の学校のものに取り替えて通学していたのである。「家でも肩身が狭い」と言う生徒の姿に渡辺は決意した。「学校に誇りを取り戻せないか」。脳裏をよぎったスポーツは「駅伝」。渡辺は、かつて日体大で箱根駅伝を目指したものの、怪我で挫折した経験があった。
 
 しかし、陸上部は消滅寸前だった。無理矢理、出場させた最初の大会はビリから二番。屈辱の繰り上げスタート、タスキが繋がらなかった生徒達は、言った。「先生、俺たちは悔しい。鍛えてくれ」。
 しかし道のりは困難を極めた。選手を集めるため、渡辺が中学校を回ると、「あんな荒れた高校に生徒はやれない」と校門から中に入れてもらえない。部員は、目を離すと、すぐに練習をさぼり逃げた。しかし渡辺は諦めない。そんな渡辺の姿に、生徒達も徐々に変わり始めた。
 
 そして5年後、ようやく、手応え溢れる駅伝チーム7人が揃った。中学時代、地元でならした不良もいた。しかし、渡辺の元で心は一つ猛特訓に耐えてきた。懸命に走る丸坊主の若者の姿。町の人々も徐々にエールを送るようになった。そして運命の大会。西脇工業は、強豪高校を奇跡の逆転、見事、優勝を果たす。
 町に戻ったメンバーを待っていたのは、地元住民の熱狂だった。西脇工業が、地元の宝になった瞬間だった。

 番組は、一人の熱血教師と、生徒達の誇りを取り戻す闘いの軌跡を感動的に描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 20 醤油 アメリカ市場を開拓せよ NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 20 醤油 アメリカ市場を開拓せよ
プロジェクトX 20 醤油 アメリカ市場を開拓せよ

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  醤油は今、100カ国以上で販売、外国工場での生産は年14万キロリットル。自動車や工業製品と並び、日本発の世界商品となった。しかし、戦後まもなく。日本の醤油メーカーは存亡の危機にあった。敗戦の混乱で、材料の大豆が不足。大豆の配給を管理するGHQは、醤油製造に待ったをかけた。さらにGHQは、日本人の洋食化を奨励。食卓ではケチャップやソースが幅を利かせ、醤油の需要は頭打ち。倒産する醤油工場も相次いだ。
 千葉で300年続く、老舗の醸造会社・野田醤油(現・キッコーマン)。常務の茂木啓三郎が、とんでもない策を決断した。「世界最大の市場、アメリカに逆襲をかける。」
 昭和32年、丁稚奉公から叩き上げた営業の秋谷満寿がサンフランシスコに送り込まれた。小学校卒で英語が全くできない秋谷を支えるのは、地元日系2世のセールスマン達。戦争中、遠い祖国の味・醤油に強い愛着を抱いていた。秋谷達は誓った。「日系人だけでは需要は限られる。アメリカ人全体がターゲットだ。」
 しかし、営業は困難を極めた。アメリカ人達は、醤油に鼻をつまみ言った。「これはバグジュース(昆虫の絞り汁)か。」秋谷達はスーパーに頼み込み、醤油を置く棚を有料で借り切った。店頭で肉を焼き、醤油を垂らし、客に勧めた。物珍しさに買って行く客もいたが、それもその場限り。品物の回転は悪い。
 「リピーターを確保するには、レシピが必要だ。」セールスマンのタム吉永は、醤油を使った調理法を必死で考えた。そして、アメリカ人の口に合う醤油ベースの「テリヤキソース」を開発した。西海岸から始まった販売網は、全米へ広がった。
 しかし、突然アメリカ政府が待ったをかけた。職人の勘と天然の菌に頼る醤油の醸造。「成分や生成メカニズムが明確に数値化されない限り、安全ではない。」本社の醸造技術者たちは、誤解を解くため、誰もやったことのないメカニズムの分析に挑んだ。
 そして、昭和47年。勝負をかけた中西部ウィスコンシン州での現地工場建設。醤油を初めてアメリカで作る。日本から職人達が乗り込んだ。その時、アクシデントが襲った。

 日本の味を世界に広めた人々の、知られざる悪戦苦闘のドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 20 釧路湿原 カムイの鳥舞え NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 20 釧路湿原 カムイの鳥舞え
プロジェクトX 20 釧路湿原 カムイの鳥舞え

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  日本最大、2万ヘクタールの広大な湿原。棲息する動植物、実に2000種。『釧路湿原』は、日本が世界に誇る貴重な野生生物の宝庫である。
 しかし30年前、ここは「不毛の大地」として地元住民から厄介者扱いされた場所だった。冷涼な気候と豊富な水が農地開発を阻み続けたからである。広大な農地を夢見た農家にとって、「釧路湿原」は、当に怨念の的だった。

 昭和40年代前半、この「不毛の大地」に入り浸る男たちがいた。タンチョウや希少なトンボ、果てしなく続く葦原。湿原に棲む動植物に魅せられ、我流で観察を始めていた製パン屋・林業家など「素人研究家」たちである。彼らは物好きと笑われながら、湿原の豊穣な生命力に故郷の誇りを見出そうとしていた。
 しかし昭和46年、田中角栄の「列島改造論」を契機に湿原の開発計画が次々に持ち上がった。巨大火力発電所や石油コンビナート、工場団地の建設構想である。
「このままでは湿原が潰される」。立ち上がったのは、「釧路湿原」の名付け親・植物学者の田中瑞穂たち。直ぐさま「保護協会」を結成。「開発を止めるには、湿原の自然の価値を具体的データで明示し世論に訴えるしかない」と、「素人研究家」たちによる前代未聞の湿原調査に乗り出した。
 製パン屋の長男でタンチョウの写真に取り憑かれていた林田恒夫は、タンチョウの営巣地を一つ一つ踏査。タンチョウの子育ての実態を解明。林業家で昆虫採集家・飯島一雄は、この地に1000種以上もの昆虫が棲息する事を突き止めた。その他、釧路湿原に生える植物の全調査に名乗りを上げた学生上がりの若手や、釧路湿原にしか棲息しないサンショウウオの生態を突き止めた高校教師。三年間、手弁当で湿原に分け入ったメンバーの調査は、世界でも珍しい「湿原総合調査」となり、釧路湿原の希少価値を実証した。そして、プロジェクトは前例の無い地元住民参加のシンポジウムを開催。遂に「湿原保護」の基本合意を取り付けた。
 けれども闘いは終わらなかった。

日本に28カ所を数える国立公園。その中で唯一、地元住民から保護の要請がわき上がった「釧路湿原」。日本が世界に誇る野生生物の宝庫を守ろうと闘った地元一丸の20年のドラマを追う。
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2005年08月01日

プロジェクトX 19 炎の突撃作戦〜鉄鋼マン大震災と闘う NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 19 炎の突撃作戦〜鉄鋼マン大震災と闘う
プロジェクトX 19 炎の突撃作戦〜鉄鋼マン大震災と闘う

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  1000万ドルの夜景とうたわれる港町、神戸。1995年1月、美しい町は瞬時に瓦礫と化した。戦後最大の災害、阪神淡路大震災である。

 最も大きな被害を受けた企業は、神戸製鋼。本社は倒壊し、工場の岸壁は崩れた。そして心臓部である鉄を生み出す高炉が停止した。生産していたのは特殊な鋼。自動車エンジンのバルブのバネに使われていた。実に、世界シェアの6割を占めていた。「このままでは、自動車産業がパニックになる」と3千人の鉄の男たちが立ち上がった。その多くが被災者だった。避難所や壊れかけた家に家族を残し、不眠不休の作業が始まった。
 最大の課題は、高炉本体の復旧だった。内部に眠る2000トンの鉄がこのまま冷え固まれば、高炉は鉄くずと化す。熱いうちに高炉に穴をあけ、ショベルカーでかき出す前代未聞の作戦が始まった。
 しかし、開けてみると皆息をのんだ。有毒なCOガスが噴き出した。更に内部の温度はまだ1300度。水をかけると水蒸気爆発が起きた。その中へ、男たちは敢然と足を踏み入れた。

 未曽有の災害からの復旧に、総力を挙げて取り組んだ鉄の男たちの壮絶なドラマを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 19 プラズマテレビ 愛の文字から始まった NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 19 プラズマテレビ 愛の文字から始まった
プロジェクトX 19 プラズマテレビ 愛の文字から始まった

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  平成4年。日本で21世紀の世界商品が生まれた。プラズマテレビである。

 42インチの大画面にして、薄さわずか9センチ。どの角度から見ても鮮明な高画質映像。ブラウン管、液晶に代わる「第3のテレビ」といわれる。開発に成功したのは、大手情報・通信機器メーカー富士通の「窓際」事業部の技術者たちだった。

 オイルショックが日本経済に打撃を与えた昭和48年。合理化の嵐吹き荒れる富士通に、一人の研究者が入社した。篠田傳(つたえ)、25歳。配属されたのは、兵庫県・明石工場。昭和39年にアメリカで開発されたモノクロ(黒地にオレンジ)プラズマディスプレイの製造特許を取得し、ガソリンスタンドのメーターやバスの行き先表示を作っていた。しかし、販路は限られ、毎月3千万円の赤字を計上。お荷物部署と呼ばれ、存続の危機にあった。

 大学でPDPの原理を学んだ篠田は、その可能性にかけていた。「プラズマでカラーテレビを作れないか。」篠田は、赤・青・緑、三原色の蛍光体を使い、試作機を作った。最初に表示したのは「愛」の文字。「技術を育てるのは愛だ」と信じていた。しかし、その矢先、病魔が篠田を襲う。過労がたたり急性肝炎で2年間入院。開発は打ち切られた上、明石工場の研究部門は廃止された。

 やっと退院した篠田は、製造ラインで働く若者達に声をかけ、居酒屋でプラズマテレビの可能性を説き続けた。赤字続きで自信を失っていた若者達。仕事の合間に、篠田の地道な試作品作りを手伝い始めた。しかし80年代、液晶テレビが登場。「プラズマに勝ち目はない」との声が上がる。篠田は、液晶では難しい大型化に賭けるしかないと決意。開発の命運をかけ、エレクトロニクスショーに大型試作機を出展する。しかし、画面に黒い断線が走り、試作機はダウン。「会社の恥だ。」罵声が浴びせられた。

 背水の陣で、課題の解決に当たる篠田達。画質を良くするには、パネル内部のミクロン単位の歪みを解消しなければならない。その時、女神の手が奇跡を起こした。

 技術への愛を信念に、逆境を乗り越えて開発に打ち込んだ研究者の執念と、それを支えた人々の逆転のプロジェクトを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 19 衝撃のカミオカンデ 地下1000メートルの闘い NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 19 衝撃のカミオカンデ 地下1000メートルの闘い
プロジェクトX 19 衝撃のカミオカンデ 地下1000メートルの闘い

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

   紀元前から、物理学者達は懸命に、物質の最小単位を追い求めてきた。中でも、地球も人体をもすり抜ける程小さく、観測の難しさから、かつて“幽霊”とまで呼ばれたのが、「ニュートリノ」。
 1987年2月、超新星爆発からの「ニュートリノ」の観測に初めて成功したのが先日ノーベル賞物理学賞を受賞した東京大学名誉教授の小柴昌俊(当時東京大学教授)である。

 小柴たちが作り上げたのは岐阜県神岡町に建設した奇想天外な実験施設「カミオカンデ」。宇宙から降り注ぐ放射線のほとんどをカットするため、奥飛騨山中の神岡鉱山地下1千メートルに空洞を掘る。その中に水を張り、水の陽子が崩壊するときの光、そして、ニュートリノが水の電子や陽子とぶつかる時に出る荷電粒子(電気を持った粒子)の光を観測しようというものだった。
 しかし建設は困難を極めた。神岡鉱山の岩盤の固さはコンクリートの約5倍。掘り進むと壁の岩が圧力で飛び出す「山ハネ」が起き、作業員は震え上がった。さらに、光をとらえる1050個の「光電子増倍管(光センサー)」。従来の3倍近い、直径50センチの世界最大の物が求められた。
 そして、1983年7月にカミオカンデは完成、観測を開始した。観測開始から3年半。小柴の東大退官まで後1か月と迫った1987年2月、大マゼラン星雲での超新星爆発が発見。カミオカンデのデータに13秒間で11個の信号が記録された。超新星からの「ニュートリノ」が初めて観測された瞬間だった。
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2005年08月01日

プロジェクトX 19 嵐の海のSOS 運命の舵を切れ NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 19 嵐の海のSOS 運命の舵を切れ
プロジェクトX 19 嵐の海のSOS 運命の舵を切れ

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  昭和56年元日、海難史に残る救出劇があった。
房総半島野島崎沖2000キロで、大型貨物船「尾道丸」が三角波と呼ばれる謎の大波に襲われ、船首が折れた。船は、沈没の危機に陥った。

 野島崎沖は、アメリカから日本への最短航路。過去18隻の大型貨物船が遭難していた。「魔の海域」と呼ばれていた。

 SOSを聞いたのは、チリから鉄鉱石を運搬し、近くを航行中の貨物船「だんぴあ丸」。船長の尾崎哲夫は、シケの海で進路変更の決断をし、現場に向かう。
尾崎は、「海の仲間を見殺しにできない」と、決断した。

 10mを越える波に流され衝突の危機。真冬の海、落ちれば助からない。そして、遭難の現実に尾道丸乗組員たちの精神的ダメージも大きかった。
だんぴあ丸船長尾崎には、気がかりなことがあった。
尾道丸船長・北浜のことだった。

 「一人の犠牲者も出したくない」。
だんぴあ丸乗組員24人は、万全の体制で救助に備える。
真冬の海に落とさない救助方法を考えた。
しかし、突然、風が吹いた。
救命イカダが波間に消えた。
男たちの運命は・・・

嵐の中、決死の救出劇に挑んだ船乗りたちのドラマである。
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2005年08月01日

プロジェクトX 19 チェルノブイリの傷 奇跡のメス NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 19 チェルノブイリの傷 奇跡のメス
プロジェクトX 19 チェルノブイリの傷 奇跡のメス

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  1986年4月26日。旧ソ連ウクライナで人類史上最悪の事故が発生した。チェルノブイリ原子力発電所4号炉の爆発。大量の放射性物質が発生、その多くが風下に位置したベラルーシに流れ、間もなく悲劇が始まった。子供達に甲状腺ガンが多発し始めたのである。現地の病院での手術を受けた子供達の首筋には大きく醜い傷が残った。

 その時、一人の日本人医師が立ち上がった。信州大学医学部の外科医、菅谷昭。父は、24時間年中無休の町医者。もっと患者と向き合いたい、そんな思いを抱き続けていた菅谷は、ベラルーシに渡ることを決意する。

 ベラルーシでの菅谷のたった一人での闘いが始まった。

 やがて菅谷の高い手術技術や、患者との交流に心打たれていく若い現地医師たち。いつしか菅谷のアパートに医師たちが集まり、勉強会が開かれるようになった。菅谷は、彼らに自分の手術技術の全てを伝えた。

 さらに菅谷の活動は続く。病院を飛び出し、手術をした患者の家、一軒、一軒、訪ね、診察を繰り返した。脳裏には、父の姿がよぎっていた。24時間、患者と関わり続けられることに喜びを感じた。

そんな菅谷の活動に共感し、菅谷を支えようと奮闘する1人の男がいた。28歳の若手医師、ゲンナジーだった。そんな二人の姿を見た他の若手医師たちも、菅谷の訪問診療に同行するようになる。

 やがて菅谷たちの努力は、ある一つの奇跡を産んだ…。

 世界最悪の事故と対峙した、日本人率いる医師たちの5年半に及ぶ闘いを描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 19 ハレーすい星に突入せよ NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 19 ハレーすい星に突入せよ
プロジェクトX 19 ハレーすい星に突入せよ

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  76年に一度、地球を訪れるハレー彗星。古来、人類の歴史と深く関わってきた星である。1986(昭和61)年の接近の際、その謎に迫ろうとする日本人技術者がいた。「ハレー彗星に強力ロケットを打ち込み、その内部を分析する」。その開発は、技術立国日本の威信を賭けた闘いとなった。

 プロジェクトが動き始めたのは、ハレー彗星最接近まで5年を切った1981(昭和56)年。ロケットを彗星に接近させ、特殊なカメラで撮影、その成分を分析するという、世界初の試みだった。プロジェクトには、様々なメーカーの技術者が集められた。リーダーは宇宙科学研究所教授の秋葉鐐二郎(当時51歳)。日本初のロケット、ペンシルロケットの開発から関わってきた。それまで、日本は人工衛星を打ち上げるのがやっとで、月に人を送ったアメリカとは、そのノウハウには格段の差があった。それをわずか5年で、地球の重力を振り切り宇宙に飛び出す強力ロケットと、指令を出す巨大アンテナなどを開発しなければならなかった。

 開発は困難の連続となった。ロケット内部で最も圧力が集中する燃料タンク。最強合金チタンの成型が出来なかった。また、宇宙の彼方に飛ぶロケットと交信するため、長野県山中で建設が始まった直径64メートルの巨大アンテナ。季節は秋から冬。吹雪の中、危険の連続となった。

 さらに、最悪の事態が起きる。1983(昭和58)年5月、ロケット実験場が造られた秋田県能代の海岸でマグニチュード7.7の日本海中部地震が発生したのである。高さ8メートルの津波が実験場に襲いかかった。全てが飲み込まれた。この時、ハレー彗星は土星を突破し木星に接近していた。「ハレー彗星は待ってくれない。このままでは間に合わない」。プロジェクトは最大の危機に陥った…。

 人類の謎、ハレー彗星に挑んだ、日本の技術者たちの壮大な物語を描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 18 家電革命 トロンの衝撃 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 18 家電革命 トロンの衝撃
プロジェクトX 18 家電革命 トロンの衝撃

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  携帯電話、デジタルカメラ、カーナビゲーション。日本が世界をリードする多くの製品を動かす基本ソフトがある。トロン。世界で最も使われている基本ソフトの一つである。

 昭和59年、トロンを考案したのは一人の日本人学者だった。東京大学の坂村健。パソコンから家電まであらゆるもの動かせるよう設計した。「基本ソフトは情報化社会の基盤。空気や水と同じ」と考えた坂村は、トロンの仕様書をなんと全世界のメーカーに無料で公開。たちまち内外140社が集まりプロジェクトが結成された。大手メーカーは次々とトロンで動くパソコンを試作。誰でも簡単に使える分かり易さと軽快な動きで評判となった。

 しかし、平成元年、そこに超大国アメリカが立ちはだかった。日本に対し、小中学校で使うパソコンの規格をトロンに決めるなと迫ってきたのである。自動車やVTRで日本に圧倒され巨額の貿易赤字を抱えたアメリカは、輸入制限や報復関税の制裁措置をちらつかせていた。メーカーは次々とトロン・パソコンから撤退を余儀なくされた。まもなく世界市場を制したのはウィンドウズだった。パソコンの心臓部を握られた日本メーカーの利益率は低下し、基本ソフトを持たない弱さを痛感させられる。

 窮地に追い込まれたトロン・プロジェクト。しかし、坂村と技術者たちは諦めなかった。「もの作りには自由に改良できる自前の基本ソフトが欠かせない」と各地で技術者たちに訴え、トロンのバージョン・アップを重ねた。逆境の中で技術立国のもの作りの将来のために闘い続けるメンバーの情熱は、革命的な新商品との運命的な出会いを呼び込んでいく。

 日本発信の世界的基本ソフト・トロン。育て上げた男たちの執念の逆転劇を描く。
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2005年08月01日

プロジェクトX 18 地図のない国 執念の測量1500日 NHK「プロジェクトX」制作班 著

プロジェクトX 18 地図のない国 執念の測量1500日
プロジェクトX 18 地図のない国 執念の測量1500日

著者:NHK「プロジェクトX」制作班
出版社:日本放送出版協会
料金(ポイント):100

  25年前、灼熱の大地アフリカで、日本人測量士が壮大なプロジェクトに挑んだ。
「一国の地図をゼロから作る」。それは、4年に及ぶ、文字通り、命を賭けた壮絶な戦いだった。

 1950年代、次々と独立を果たしたアフリカ各国。そのなかでも最も熾烈な闘争を繰り広げた国があった。西アフリカ・ギニア共和国。

 「隷属による豊かさよりも、貧しさのなかの自由を選ぶ」。58年、宗主国フランスに対し一方的に独立を宣言。数百年に渡る植民地支配と決別した。

 しかし、フランスは反発。ギニアの公共施設を破壊し、国の重要資料のほとんどを本国に持ち去った。そのなかには、後の国づくりの要ともいえる「国土基本図(地図)」も含まれていた。地図がないため、ギニアの開発は行き詰った。道路、鉄道、農地…新たな国土開発の目処すら立たなかった。そして、まもなく世界最貧国に転落した。

 1977年、地球の裏側から救いの手が差し伸べられた。日本政府はODA(政府開発援助)としては異例の、総額10億円の予算を提供。ギニアの国土基本図作成に乗り出す。ベテラン測量士・本島建三(当時・52歳)を筆頭に、日本全国から腕利き測量士が集められた。

 しかし、その作業は困難を極めた。過酷な自然環境。摂氏40度を越す熱風が測量隊を襲った。さらに、ギニア人との深刻な文化の違い。男たちは絶体絶命の窮地に立たされた。

 「ギニアを豊かにしたい」という思いを胸に、アフリカの大地と格闘し、やがて現地の人々と心を通わせ一国の地図を完成させた測量士たちの冒険と挑戦のドラマを描く。
ニックネーム いまよむ事務局 at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ドキュメント